浅田次郎先生の対談集『すべての人生について』(幻冬舎文庫)が新刊の棚に並んでいたので、早速購入した。


 一人目の相手である小松左京先生との対談の中に、印象的な箇所があった。

 二十世紀の前半に科学技術はものすごい勢いで進歩したという話の流れの中で、小松左京先生がこう語ったのだ。

「1905年にアインシュタインの特殊相対性理論が出て、それで放射性エネルギーが注目される。放射能の研究そのものは、ベクレルやキュリー夫人がやっていましたが、三十数年後には原子爆弾を作っちゃう」(P13)


 ベクレルって研究者の名前だったんだ……。いまウィキペディアをみたら、ウランの放射能を発見したフランスのノーベル賞受賞者だったんですね。無知でございました。

 それにしても放射能エネルギーって、発見されてまだ100年くらいなんですね。人類が使いこなすには、まだ時間が足りなかったんでしょうか。

 

 博覧強記のお二人はそれから飛行機、コンピュータと、恐ろしい勢いで発展を遂げた技術に話を広げてゆくのだが、浅田先生がふっと感想を漏らす。


 科学はあるレベルにまで達して、それ以上は必要ないと分かると、進歩が止まるのではないか。今度は別の科学に目が向けられ、今度はそちらの有用さが高められる。歴史はその繰り返しだったのではないか、と。

 さらに、文化も科学技術同様、飽和点に達すると成長を止めるのではないか、二十一世紀はその反動で内向の時代になるのではないか、と浅田先生は論を進める。


 いまのSNSの興隆をみていると、これはまさしく的を得た予測であったことが分かる。ツイッターにしても内面のつぶやきの集合体だし。


 小松先生はそれを受けて、ゲームなどでは表せない人間性のさまざまな要素が文学の中にはある、文学はもっと頑張らないと、と同意を示している。

 まさに話が縦横無尽に展開する、巨頭二人の対談である。いやーすごい。


 小松左京先生かぁ、中学時代に結構読んだなぁ。『日本沈没』はテレビシリーズをずっと見てました。五木ひろしの歌う主題歌が泣かせるのです。


 対談の終わりに、小松左京先生は浅田次郎先生を労う。

「体を丈夫にしておいてください。小説というのは架空の世界ですから、それだけの世界をずっと持続させるには体力がなければならないからです」

 浅田先生は自衛隊で培った体力があるので問題ないと思うが、体力勝負というのは本当に実感する。根を詰めてずっと書いた後は頭がふらふらで、それが毎日だもの。いまのうちに書きたいものを書いとかないと。


 僕もいつか先生と呼ばれる身になったら、大御所の方とこんな対談をさせてもらえるかなぁ。