所有しているちょっとしたビジネスの件で、人に会う用事ができた。

 基本的に人と接するのが好きではなく(女性の場合はこの限りではない)、他人にもあまり興味がないので(女性の場合は、以下略)、できれば会わずに済ませたかったのだが、こちらから話を持ちかける以上、そういうわけにもいかない。久しぶりにシャツのいちばん上のボタンを留めて会いに行った。よほどのことがない限りノーネクタイで通すことにしている。


 きちんとビジネス上の手続きをとって、それなりの地位の人に会うというのは久しぶりだった。前日に事務所を訪問して資料と名刺を渡し、アポイントを取って日を改め、できる準備はすべてして訪問するという、いってみれば基本的なことをやったわけである。

 実際には相手はこちらが渡した資料は読んでなかったし、会える時間もずれたが、そんなのは折込済みである。名前を聞けば誰でも知っている企業の幹部が、法人化もしていない個人事業主をどう扱うかはご推察の通りである。田舎では本当に「あんた、誰?」と訊かれるんだから。


 バーターで取引しましょう、うちとしてはここまでご提供する用意がありますから代わりに……という交渉なので楽だったのが、久しぶりだったのでそれなりに緊張した。

 ひとつだけ自分に言い聞かせていたのが、絶対に卑屈にならないこと。「あ、この条件では無理ですか。どうもお時間とらせました」とサッと席を立つ気概を持ってないと、自分でビジネスをやってる意味がない。世のサラリーマンの悲哀のほとんどは、会社のために、つまり他人のために泣いたり笑ったりしてみせることにある。


 そのお偉いさんはなかなかの風格で、こちらを見下さない代わりに妥協もしなかったので、ほとんどイーブンで話はまとまった。優秀で、自分が優秀な会社の幹部であることに自信を抱いている印象だった。そう、ほとんどの会社員はこんなふうになることを目指すんだよな、と彼と話しながら頭の隅で思っていた。


 一応首尾は上場だったので、事務所を出るとき軽い興奮と達成感に包まれた。すぐに「危ない、危ない」と思い直した。

 こうした充実感は、サラリーマンは多ければ日に何度も味わうことがある。その酩酊感が「俺はこの仕事が好きなんだ」という錯覚を呼び、自称仕事人間を作り出す。帰りが遅くなり、飲み屋で部下に説教をしだす。そうやって人は会社以外の居場所をなくしていくのだ。


 「確認のために夜電話してください」といわれ、ゲッと思った。僕がこの世でいちばん嫌いなのはこういった電話なのである。仕方がないからすることを済ませて相手を呼び出し、にこやかに用件を伝えて早々に切った。なんで普段原稿を書いてる机でこんなことをせにゃならんのだ。


 ビジネスを展開させるのは好きだし、営業も打ち合わせも滞りなくやることはできるけど、外部の人と交渉しながら物事を進めていくのは僕の本質から外れている。


 あーあ、やっぱり小説を書いてるときがいちばん自分らしいや。