なんか毎年、この日がどうでもよくなってるような気がします。40代になると毎日が年輪を重ねてるようなものだし。同年代の女性はまた違うんでしょうけどね。女の人はある時点から歳をとらなくなりますから。


 それにしても昔はどうして、この日にあれほど執着したのかな。誕生日だけは一緒にいてほしいって、よく考えたら男が女の子に言う台詞じゃないですよね。まだ青かったから許されるようなもので。

 20代ももう少し歳が下がって仕事が面白くなると、「自分の誕生日なのにこんなにバリバリ仕事してる俺」というのに自己陶酔したりして。夜中にちょっとだけ女の子と会って「いやー、終わんなくてさ」なんて言ってましたな。あー恥ずかしい。


 家庭を持った後は、妻子のいる幸福というのを再確認する日でもありましたね。息子が小さかったときは一所懸命絵を描いてくれたりして、しかもそれがなぜかミニカーの絵だったりして。覚えたばかりの平仮名で「ぱぱげんきでいてね」なんて。その絵はいまも押入れにあります。

 その彼はいま、僕から「本気で合格する気があるなら模試でそれなりの結果を出してみろ」と言われ、ふてくされつつ隣の部屋で勉強しております。時の流れは残酷だ。


 祝ってくれた人はいましたけど、基本的に今日は何もない日。よく考えたら酒さえ買ってない。発泡酒のひと缶さえも。


 それでいいんです。人生の折り返し地点あたりにいる男にとって、この日は単に便宜上引かれたラインの上空を通過するようなもの。大海や沃野を見据えている目には、地上の白線なんて意味がないのです。

(ちょっとかっこよ過ぎるかな)