鴻上尚史さんの『「世間」を笑い飛ばせ!』(扶桑社)を読んでいる。

 この『ドン・キホーテのピアス』シリーズは、目にした瞬間0.5秒で手に取るように条件反射の回路が出来上がってしまった。いやまったく、下手な社会学者の論説よりもよほど現代というものが分かる。劇作家の目で見た現代日本の文化論が面白いのも特徴だ。


 で、印象的だったのが、吉田修一先生の『悪人』の感想について書かれた項。

 作中に描かれていた地方の貧しい若者の孤独や苛立ちに言及したうえで、鴻上さんは日本の低所得者層と欧米のそれの違いについて話を進める。

 『悪人』の登場人物たちが象徴する、地方の年収200万円の若者は何故不幸なのか。それは車とテレビ、おしゃべり以外に娯楽を持たないからだ、と。


「日本はどんどん格差社会になると騒がれていますが、そしてワーキングプアの問題を含めて事実そうなっていますが、考えるまでもなく、アメリカもヨーロッパもとっくに格差社会なのです。日本が奇跡的に中流社会を実現できていただけのことです」。

 こういうふうにズバッと断定するのが鴻上さんの持ち味だ。そのうえで、その欧米の実情を語る。


 アメリカにはまだアメリカンドリームでのし上がろうという傾向があるが、ヨーロッパの人たちは格差を受け入れ、低所得者としての身の丈にあった娯楽を楽しんでいる。それが格差社会に苦しめられないための、生きる知恵なのだ、と。

 いい例がイギリスのガーデニングで、本場に行けば安いバケツに花を植えて楽しそうにしているのだそうだ。あの豪奢な英国式庭園のイメージは商業主義に装飾された虚像だったわけである。


 格差はれっきとして存在し、貧困は本人が怠けているせいでも無能なわけでもない。日本はようやくそれを認める時期に来ているのだろう。

 しかしなかなか認めようとしないのは政治家や官僚だけではない。当の貧困層自身もそうだ。


 テレビをつける。新しい電化製品のコマーシャルが流れている。欧米の低所得者層は、それは金持ちに向けたメッセージで自分には関係ないと思うが、日本のワーキングプアはなんとなく自分にも微笑みかけているような気になる。買えば身が破滅するのに──と文章は続く。日本人の貧困層はまだ「不可能な欲望」を拒絶することに慣れていないと。

 欲望だけを刺激され、買いたいものを買えずに苦しんで、毎日が退屈のうちに過ぎていくという負のスパイラルからどう脱却するか。テレビを消して溢れる情報をシャットアウトし、自分を豊かにする安価な娯楽を見つけることだ。そう鴻上さんは教えてくれる。


 かつて、一億総中流時代というものがたしかにあった。もしかしたら幻想に過ぎなかったのかもしれないけれど、その夢を誰もが見ていた時代が。

 いま、日本人の多くは夢から覚めたようになっている。いつの間にこんな閉塞感に覆われてしまったのかと。


 大事なのは現状を認めることだ。認めたうえで、商業主義とは距離をとって平穏を選ぶのもよし、あるいは這い上がろうと努力するもよし──。他人のせいにして不平不満を撒き散らし、社会を恨んで生涯を終えることだけはやめよう。

 誰かにではなく、自分にそう語りたい。









#twnovel

 教室で近くに座っていた気になる娘が風邪をひいてて、自分も引いたかな? と思うと、なんか妙な気分になる。この季節の華ですね、その感覚は。


なんとなく喉がいがらっぽく、どこか寒気に鼻がむずむずする季節。でもそんな不調も、誰かと分け合う共通項になれば、途端に甘い秘密に代わる。あの人と同じだという思いは、木枯らしの風景にぽっと灯った暖色。ほら、あそこで高校生のカップルが、一緒にくしゃみをしてうれしそう。