え~と、あのですね、ここに引っ越しをする前のブログの中にはリアルな夢や何年経っても忘れていない夢のこと等をアメンバー記事で書いていたんです。

その内の幾つかを、こちらのブログに持ってきて残しておきたくなりました笑2

数年前のものや、古いのなら数十年前の夢の内容だけど、私にとっては意味深いものばかりなんですよ。

それらを少しづつこちらに書いて、自分の為の備忘録として残しておこうと思ってますおぉ!

興味の無いかたには、面白くも何とも無いと思うので、スルーしてくださいねキャッ

又、必要な場合は、編集や追記なんかもする予定です。




それでは第一弾として、19年前に私の母が亡くなって百箇日近いころの夢です。

古っ と、思うでしょ

でも、まだ覚えてるんですよねぇ。

ほんとにねぇ~自分でも不思議だわ笑





☆☆☆☆☆


夢の中で、私は飛行機のような物に乗っていた。

でも、その乗り物には屋根が無いのです。

周りを見渡すと沢山の人が座っています。

下の風景を見ている私は、相当高い所に飛んでいるなぁと感じて、隣に座っている人に尋ねました。

「今どのあたりを飛んでいるのでしょうね?」

すると、その人は『高度8000メートル以上らしいですよ』と。

私は「えっ? それじゃあ空気も少なくなって、寒さもハンパじゃないはずなのに・・・!」と、言いました。

でも、どんどん上昇していくのを感じているのに、寒くもなく息苦しさも全然なかったのです。


そうする内に座っていた人達が、一人また一人と、座席からポーン、ポーンと飛び出していくのです。

不安な気持ちでいる私も、そこからポーンと飛び出した。

そして、だだっ広い道の真ん中にフンワリと着地しました。

周りを見渡しても誰もいない。。。

とりあえず、この道を歩いて行くことにする。

私の歩く方向から右手に、昭和初期くらい(?)の町並みが見えてきた。

家々は全て木造で、一軒のお店の看板には右読みで「たばこ」と書かれている。

どんどん歩いて行くと、今度は大きな門のあるお寺に到着した。

中では黄色い袈裟を着た数名のお坊様がお経を唱えているのだが、なじみの無い聞きなれないお経だった。

お寺の中庭の周りには低い塀が巡らされていて、様々な皮膚の色の人達が、その塀に腰をかけて意味の分からない言葉をそれぞれがしゃべっている。

ボーッと眺めていると、どこからか一人の人が近づいてきて『喉元のチャンネル』という言葉がダイレクトに、たとえばテレパシーの様な感じで伝わってきた。

自分の喉元を探ったら、そのチャンネルのような物が付いている!

それを適当に回してみたら・・・!全ての人々の会話が理解出来た。

まるで、SFの世界かアニメの世界の様なのだけれど・・・


そうしているうちに、何だか母が近くに居る様な来がして母を探しに外へ出た。

歩いていると、そこは想像が出来ないくらい広い広い、広場の様な所へでた。

そこには母が、ある方向に向かって祈るような仕草をしている。

私は母の所へ駆け寄った。

そして嬉しい気持ちを抑えながら、何をしているのか聞くと『これは古い祈りの姿や。』と言った。

母は頭を地面に付けて手のひらを上に向け、土下座をしている様な姿をしながら祈っている。

それにしても・・・母に逢いたい逢いたいと思って、やっと逢えたというのに、私は以前のように泣きじゃくる事も無く落ち着いている自分が不思議だった。

(追記・・・)この頃は母を亡くして毎日泣き暮らしていたし、夢の中で母に逢っても抱き付いては泣いてばかりいました

そして、ここは母がいま住んでいる世界なんだろうなぁと、漠然と思っていると今度は何かに引っ張られるような感覚があり・・・そして目が覚めた。

たかが夢のお話しです。

けれども私は夢で母の世界へと逢いに行ったと思っています。

そうそう、実は、あのお寺の門の上の木(表札?)には、名前が書かれてありました。

目が覚めてからも、その名前をしっかりと覚えていた私はネットで調べてみました。

そこは中国に実際にある場所でした。

母は6歳~16歳まで、父親の仕事の為、家族で中国で暮らしていました。。。



追記・・・アメンバー記事の時にも、そこの名前は載せていませんでした。

今はもう載せてもいいかなと思い書きます。

お寺の門の上の木には 「天台山」と書かれてありました。

そして、もう~本当に鈍い私は、最近になってやっと気付いたんですよ

天台山とは、中国天台宗の開祖天台智顗ゆかりの地だったのです

そして、なんという御縁なのかと・・・夫の父は天台宗の僧侶です。




私は今でもこの夢の解明をしたいと思っているんですよ。

どなたかピンとくることがあれば、なんでも結構ですので教えてください。