ピンチは誰が救ってくれる??
人生の絶望に堕ちた時、
這い上がるのは、
自分の力です。
私は割とストイックな物言いをしますが、
決して“根性論”を善としていません。
人間関係について話す時などは特に、「思いやりのない嫌なヤツは、スルーしてください。」というニュアンスでお伝えしてるように、付き合わなくて済む人間関係なら、思いやりを持ち合わせていない嫌なヤツはスルーが1番と思っています。付き合う価値もないと思うほどにドライな考えで実生活を送っています。
しかし、嫌なヤツでも、どうしても続けなければならない関係性もあります。
そんな時、優しい人は特にあるあるだと思うのですが、
相手に傷付けられた時、
相手に対して湧き上がる自分の怒りにすら、
自分を責めてしまう人もいるでしょう。
「相手の不幸を願いたくなるほどの怒りを持ってしまう自分が怖い。」など、優しい人が自分の怒りに嫌悪するパターンも多いものです。
でもね。嫌悪する、その姿勢が優しさであり、強さなんだと気付いてほしい。って思ってる。
さて、というわけで、今日は、誰かに追い詰められたりする人間関係がある場合の事前の対処法を提案したしてみたいと思います。
その対処法とは、
日頃から、周囲への思いやりを忘れないことです。
信頼関係が築けていたら、自分が苦しい時に、周囲は助けてくれるものです。
「そんな単純なこと、誰でも分かる!!」
と思うかもしれません。
しかし、周囲への思いやりを忘れない言動は、続けてみると、なかなか難しいものです。
自分が辛い時にも、誰かが傷付いていればその人の気持ちを考えて寄り添う。
そうやって、いつだって、思いやりを出す場面に出会うから、難しいのです。
たとえば、
仕事で自分がミスをして落ち込んでいる時、同僚が
家庭のトラブルで泣いていた。
そんな時、あなたならどうしますか?
自分の事で落ち込んでるから、自分の悩みに集中したい。と思うか?
自分が方が不幸だから放っておくか?
相手に寄り添おうとするか?
こんな些細なことでも、思いやりのある人とない人とでは、全く違う対応をします。
思いやりのある人は、即座に
“相手の立場になって考える”
ことが出来るでしょう。
これが出来る人には、周囲からの信頼が自然と集まります。
だから、自分がピンチのときに、必然的に周囲が助けてくれるようになります。
タイトルの『ピンチは誰が救ってくれる??』の答えは、「自分」なのです。
考えてみてください。
あなたなら、いつも自分に酷いことをしてくる人間が困っていても助けたいと思わないでしょう?
“因果応報”ということです。
とはいえ、二元的に裏表が表面化することがなく、理不尽にも悪い面ばかりに遭遇することもあります。
しかし、その理不尽に耐えて、誠実を貫いた時、最終的に周囲に救われ、周囲に生かされているという実感を得るでしょう。
この実感こそ、宝なのです。
理不尽に耐えろ!とは言いませんが、相手の立場に立って考えられる姿勢は、後に自分を救います。
ーーーーーー
(私は本当にバカが付くほどのお人好しな面があります。だからこんなにひたすらに頑張る記事ばかり書いているし、実際そのような生活態度で過ごしています。ただ、このようなモチベーションが万人に共通する姿勢だとも思っていません。あくまでも、時と状況により当てはまる人は違います。その証明が出来ない理由は、現に、私がおかしいからです。私は今まで、どれだけの理不尽に耐えてきたか分かりません。いつも何かを抱え、心から笑った記憶なんて殆どなく、理不尽な環境や事象については、人よりも何倍も多い気がしてなりません、、、もちろん、皆、其々に苦労があると思っています。それでもやはり、私は辛い事に常に晒されているように思えます。最も大きな苦悩も未だ癒えず、受け入れられない別れがあって、それは生きてきた中で一番過酷で神様の意地悪で、それが何年もの間、私の中心にあって、ただ時間が忘れさせてくれると少しだけ思ってて、、悲しみにすがるのではなく、大切なものを大切なまま持ってるだけで。かつては、この命を人のために貢献し、使い果たしたいと思っていましたが、今はそのような気持ちを保つ気力もない。ただ、生きる意味を見出したいなとは思っています。おっと。自分の気持ちが入り過ぎたw笑)
人間というものは、承認欲求を満たしたい生き物です。
自分が誰かの役に立っている。という実感が良いパフォーマンスを生み出し、人を幸せにするサイクルを作る。
「人のために生きる」「人の笑顔のために働ける」それは本当に価値あるもので、そこで人の感謝の気持ちを受け取ることが出来ているなら信じて歩んで行くべきです。
地球は二元化するとかなんとか、以前スピ界では言われていましたが、今はどうでしょう?
今、コロナの影響で確実に世界が変わっています。
これが二元化のキッカケになるのでしょうか。
「人のために生きる」「人の笑顔のために働ける」今現在このようなモチベーションで、今後の見通しが立つならば、幸先は良いと信じてください。
自身の身を助け、人をも助けるでしょう。
今もずっと苦しく未来の見通しも見えない人は、ただただ自分の芯を大切に挫けず頑張ってください。
今は何も見えない暗闇でも、必ず光はさします。
私も何もかも上手くいきませんが、光を見つける旅の途中だと思っています。
今の状況が嫌なら、動くしかない。
自分の人生、自分でしか変えられませんから。
ピンチは誰が救ってくれる??
ピンチは誰が救ってくれる??
人生の絶望に堕ちた時、
這い上がるのは、
自分の力です。
私は割とストイックな物言いをしますが、
決して“根性論”を善としていません。
人間関係について話す時などは特に、「思いやりのない嫌なヤツは、スルーしてください。」というニュアンスでお伝えしてるように、付き合わなくて済む人間関係なら、思いやりを持ち合わせていない嫌なヤツはスルーが1番と思っています。付き合う価値もないと思うほどにドライな考えで実生活を送っています。
しかし、嫌なヤツでも、どうしても続けなければならない関係性もあります。
そんな時、優しい人は特にあるあるだと思うのですが、
相手に傷付けられた時、
相手に対して湧き上がる自分の怒りにすら、
自分を責めてしまう人もいるでしょう。
「相手の不幸を願いたくなるほどの怒りを持ってしまう自分が怖い。」など、優しい人が自分の怒りに嫌悪するパターンも多いものです。
でもね。嫌悪する、その姿勢が優しさであり、強さなんだと気付いてほしい。って思ってる。
さて、というわけで、今日は、誰かに追い詰められたりする人間関係がある場合の事前の対処法を提案したしてみたいと思います。
その対処法とは、
日頃から、周囲への思いやりを忘れないことです。
信頼関係が築けていたら、自分が苦しい時に、周囲は助けてくれるものです。
「そんな単純なこと、誰でも分かる!!」
と思うかもしれません。
しかし、周囲への思いやりを忘れない言動は、続けてみると、なかなか難しいものです。
自分が辛い時にも、誰かが傷付いていればその人の気持ちを考えて寄り添う。
そうやって、いつだって、思いやりを出す場面に出会うから、難しいのです。
たとえば、
仕事で自分がミスをして落ち込んでいる時、同僚が
家庭のトラブルで泣いていた。
そんな時、あなたならどうしますか?
自分の事で落ち込んでるから、自分の悩みに集中したい。と思うか?
自分が方が不幸だから放っておくか?
相手に寄り添おうとするか?
こんな些細なことでも、思いやりのある人とない人とでは、全く違う対応をします。
思いやりのある人は、即座に
“相手の立場になって考える”
ことが出来るでしょう。
これが出来る人には、周囲からの信頼が自然と集まります。
だから、自分がピンチのときに、必然的に周囲が助けてくれるようになります。
タイトルの『ピンチは誰が救ってくれる??』の答えは、「自分」なのです。
考えてみてください。
あなたなら、いつも自分に酷いことをしてくる人間が困っていても助けたいと思わないでしょう?
“因果応報”ということです。
とはいえ、二元的に裏表が表面化することがなく、理不尽にも悪い面ばかりに遭遇することもあります。
しかし、その理不尽に耐えて、誠実を貫いた時、最終的に周囲に救われ、周囲に生かされているという実感を得るでしょう。
この実感こそ、宝なのです。
理不尽に耐えろ!とは言いませんが、相手の立場に立って考えられる姿勢は、後に自分を救います。
ーーーーーー
(私は本当にバカが付くほどのお人好しな面があります。だからこんなにひたすらに頑張る記事ばかり書いているし、実際そのような生活態度で過ごしています。ただ、このようなモチベーションが万人に共通する姿勢だとも思っていません。あくまでも、時と状況により当てはまる人は違います。その証明が出来ない理由は、現に、私がおかしいからです。私は今まで、どれだけの理不尽に耐えてきたか分かりません。いつも何かを抱え、心から笑った記憶なんて殆どなく、理不尽な環境や事象については、人よりも何倍も多い気がしてなりません、、、もちろん、皆、其々に苦労があると思っています。それでもやはり、私は辛い事に常に晒されているように思えます。最も大きな苦悩も未だ癒えず、受け入れられない別れがあって、それは生きてきた中で一番過酷で神様の意地悪で、それが何年もの間、私の中心にあって、ただ時間が忘れさせてくれると少しだけ思ってて、、悲しみにすがるのではなく、大切なものを大切なまま持ってるだけで。かつては、この命を人のために貢献し、使い果たしたいと思っていましたが、今はそのような気持ちを保つ気力もない。ただ、生きる意味を見出したいなとは思っています。おっと。自分の気持ちが入り過ぎたw笑)
人間というものは、承認欲求を満たしたい生き物です。
自分が誰かの役に立っている。という実感が良いパフォーマンスを生み出し、人を幸せにするサイクルを作る。
「人のために生きる」「人の笑顔のために働ける」それは本当に価値あるもので、そこで人の感謝の気持ちを受け取ることが出来ているなら信じて歩んで行くべきです。
地球は二元化するとかなんとか、以前スピ界では言われていましたが、今はどうでしょう?
今、コロナの影響で確実に世界が変わっています。
これが二元化のキッカケになるのでしょうか。
「人のために生きる」「人の笑顔のために働ける」今現在このようなモチベーションで、今後の見通しが立つならば、幸先は良いと信じてください。
自身の身を助け、人をも助けるでしょう。
今もずっと苦しく未来の見通しも見えない人は、ただただ自分の芯を大切に挫けず頑張ってください。
今は何も見えない暗闇でも、必ず光はさします。
私も何もかも上手くいきませんが、光を見つける旅の途中だと思っています。
今の状況が嫌なら、動くしかない。
自分の人生、自分でしか変えられませんから。
ピンチは誰が救ってくれる??