『先筆をたずねて』 第一回:野口英世
先人たちの書と出逢うたび、作者の「人となり」にも少なからぬ興味を抱いてきました。
一般のイメージや伝記を介してではなく、書かれた文字から直接その人間像に迫ることができたらと、筆跡診断士の資格を取得しました。
この『先筆をたずねて』では、私が出逢った福島ゆかりの人たちの書について、筆跡が示すその人となりをご紹介していきたいと思います。
第一回目は、現在の千円札としても馴染み深い野口英世博士の書です。今日5月21日没後90年を迎えます。
野口英世生誕の地である福島県猪苗代町に、自筆「忍耐」の書があります。
「忍耐は苦い。しかしその実は甘い」老若男女問わず、心に響く言葉です。
野口英世が「忍耐」の書を書いた頃は海外の生活が長く、毛筆で書く機会も多くはなかったと想像しますが、空間の中に悠然と佇むその筆跡からは、与えられた役割や機会に対して努力を惜しまずに最善を尽くす人柄が伺えます。また、自らが先頭に立つ際には柔軟な発想と判断、行動が出来る特徴が見受けられます。
幼き頃に囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負った清作(後の英世)。
代々続く農家の長男でしたが、農作業は困難だろうと判断した母・シカは学問の道に進ませることを決意し、昼夜問わず働いたと言います。
野口英世を支えた恩師たちの協力と自らの開拓心で、野口英世は医学に関わる研究を深め、アメリカやヨーロッパへと渡ります。
3度のノーベル生理学・医学賞候補にもあがった野口英世でしたが、アフリカで自らが研究していた黄熱病にかかりその生涯を閉じました。
筆跡とその生涯を照らし合わせると、研究の分野では最大限の力を持って臨み、中心となって進めるプロジェクト等には周囲の意見にも耳を傾けるリーダー的資質も兼ね備えていたと想像出来ます。一方で釣りや絵画などを愉しみ、エジソンやリンドバークらとの交流などバランス感覚にも長けた人柄のように感じます。
改めてその人生が「忍耐は苦い。しかしその実は甘い」ことを教えてくれているようです。
取材先:野口英世記念館 野口英世青春館 会津壱番館