えっΣ(・□・;)
っとビックリさせる意外性も大事だが、
確実にやるべきことを確実にこなす確実性
なき意外性は、愚問である。
野球でも、本当に守備がうまい人は、
予めどこに球が飛んでくるかを予測して
守備位置についているので、
ビックリするような好プレーは少ない。
長嶋茂雄さんや新庄剛志さんのように、
ファンを喜ばせようと、
ワザと好プレーを魅せるのはもちろんいいが、
確実にやるべきことができないで
ビックリさせようとするのは、
もはやプロとは言えない。
人を喜ばせるのは大事だが、
喜ばせること、ビックリさせることに逃げてはならない。
相手はそんなこと求めていない場合がある。
医者に、技術も知識もないのに
ビックリさせるようなことばかりされても困る。笑
自分に技術がないことを隠すために、
ビックリさせよう!喜ばせよう!とするのはプロではない。
確実性の無さを隠蔽するために
意外性で見栄を張ってもバレバレである。
プロならば、確り技術を身につけ、技術を磨き、
日々、想像力を働かせることだ。
その上で、ビックリするような好プレーを追求すれば、
プロ中のプロである。
室町後期~戦国時代に、
塚原卜伝(つかはらぼくでん)という剣聖がいた。
83歳でこの世を去るまで、
真剣勝負19回、戦(合戦)37回、
木刀などでの打合数百回において、
一度も負けなし。
それどころか、1か所も、傷を受けたことすらない
というほど強い、剣の名人だ。
その彼の有名なエピソードに、次のような話がある。
ある日、塚原卜伝の弟子の一人が、
前からやってきた馬のすぐそばを
通りすぎようとしたところ、突然馬が暴れ出して、
後ろ足でその弟子を蹴り上げようとした。
ところが、その弟子は、見事な体さばきで
馬の蹴りをサラリとかわした。
その場にいた人達は、みんな、
「さすがは卜伝さんの弟子だ!」と拍手喝采で
褒め称えた。
しかし、当の卜伝だけが、弟子に「未熟者」と叱りつけたのだ。
「前から馬が来れば、馬が蹴り上げる可能性があることは
予測できたはずだ。
私は、はじめから馬の後ろには近付かず、
馬をよけて通っていたのだ。
そこがわからず褒められて喜んでいたのでは、
私の弟子とは認められん」と。
この塚原卜伝と弟子のエピソードを、
今回のイチローの話と結びつけて考えてほしい。
技術を徹底して磨き、想像力を猛烈に働かせて、
次を予測しながら、動くことだ。
意外性は、確実性の上に成り立つものだ。