昨日の8月6日、今年もたくさんの方に主人のblogをご覧いただきありがとうございます。
8月6日のことをあまりにも真剣に考えて真面目にblogに取り組んでいるので驚きます。
言葉の言い回し、タイトルを考えるいつもの私の役割。
主人と共に考えながら、私も広島に思いを馳せていました。
主人もblogに記してくれたように、私の身内の被爆者はみんな、天国へ行ってしまいました。
去年亡くなった、祖父の妹。戦後しばらくカープで働き、カープから感謝状をもらっていたおばちゃん。
今の広島東警察署辺りにあったという自宅で被爆し
全身大火傷を負い、皮膚は溶けて垂れ下がっていたそうです。
1番酷かった顔に、唯一火傷をしていなかった足のふくらはぎの皮膚を
もちろん麻酔なしで切り取って貼ったと話していました。
そんな話を幼児の頃から聞き、「ふーん」と言っていた私も
ある日にはそれを理解するようになります。
身近に被爆者がいながら、毎年、他の被爆者の方からお話を伺い育ち
そういう衝撃の事実を写真の向こう側、本の中の話ではなく、目で見て耳で聞いて手で触れる
生々しさがありました。
時が経つことでそれが薄れていってしまうのは仕方のないことなのかもしれませんが
薄れていくのも、戦争がなく平和だからだよね、と
今日主人が言っていました。
主人は昨日は1人、周りに暗くて重いオーラを身に纏っていましたが
娘たちはもちろんそうもいきません。
仙台で広島、全然うつらないね、と言いながらオリンピックを見て、
アオギリの歌を歌いながら七夕祭りへ行きました。
そして、たくさんの中からみつけました。
ノーモア ヒロシマ
ここちゃんとのんちゃんは、
そうだね、そうだよね、と言っていました。
仙台で広島を感じられたことが嬉しかったようです。