心の洗濯 | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba

皆さま、あいも変わらず随分ご無沙汰してしまいました。

しばらく痩せ我慢していた暖房も、もう耐えられなくなり数日前からエアコンフル稼働の我が家ですが、皆さま健やかにお過ごしでしょうか。


最近世界中の怒りを司ってるんじゃないの?と、友人に大爆笑されるほどやさぐれることが続きまして、怒るほど若くもないせいか先日は18時間ずうっと睡眠に没頭するというなんとも生産性のない日々で御座います。

そんな中、とにかく何か心に栄養を与えなくては!と思い立ち、阿蘇に小旅行に行きましたがそれでもイマイチ。そこで私の中での伝家の宝刀なる、『純文学・クラシック(ピアノ)・ウィスキー』このセットで心の洗濯日を設けました。

実はわたくし、異常な純文学好きなのです。どんなに辛い10代も純文学があったから生きてこれたと断言出来るほどに、人間というもの世の中というものを繊細過ぎる日本語と共に深く深く掘り下げる作品が何よりの心の洗濯になるような気がいたします。

近年は覚えなければならないことや、知っておくべきことが多くて、好みよりも必要性での読書が多く、それもやさぐれMAXの原因だったのだろうと思うことです。


さて、皆さまにとっての心の洗濯とは何がありますか?

現代を生き抜く中でストレスを減らしなさいと口で言うのも言われるのも随分簡単ですが、事実それを減らすと言うのは現実的ではないように思います。

減らすのではなく、昇華し解消する方がよほど可能性のあることかと。

ならば、私のように心の洗濯なる何かを心得ておくことは、大切な心のお守りとなり生きる道を翳す光となるのかもしれません。


私の友人はもうだめだとなると1人で海を見に行きます。また別の人は携帯の電源を落として音楽の世界に没頭します。またある人は1960年代の映画を永遠と家で流し続けるのだそうです。

このように誰かと関わることで昇華することも時に必要ですが、1人で己と向き合い己を解放する時間というのはとても大切です。


そのような時間を持つためにも教養なる何かを一つ心得ておくことが皆さまの心の支えになるかもしれません。私は純文学やクラシック音楽を支えにし、上記の友人は美しいものを見る眼を養ったことで眼前の景色に同化し、映画鑑賞や音楽鑑賞も同じく心を洗い支えとなるものです。

実際己とのみ向き合うとなった時、教養と云われる分野は大変に有効だと思うのです。


残念ながら人間の感受性という部分は年齢と共に退化してゆくように体感する日々ですが、それでもやはり心にただただ純粋に染み入るものがあり、それが心の洗濯となり自身を奮い立たせる活力になるのではないでしょうか。

本当に疲れ果てた時、立ち上がる元気がなくなった時に人は孤独を感じ、周囲を拒むこともあるかもしれません。

そんな時に心を潤してくれる何かが皆さまにもあり、そしてそれが年の数だけ増えてゆくような毎日であって欲しいなと思うことです。


教養なんて何の足しにもならないと仰る方もいらっしゃいますが、そんなことないよ!というエピソードを交えながらの一筆でした。


本年、あと一回くらい更新したいと思ってはいます。(思うのは自由)

また、来月または来年から書評や日頃の日常をインスタグラムにあげようかなと思っています。(思うのは自由)

もしよろしければ、まだ何もUPされていない私のインスタグラムのフォローをお願いできれば、やる気も起きるかもしれません。(クライアント様頼みの日々)



それでは寒さが日に日に厳しい折、ご自愛の上ご活躍下さいね。




追伸

私においては、心の洗濯=教養ではありますが、心の消毒=アルコールになってしまうのでした。