死との距離感 | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba
台風はよく分からないまま福岡を過ぎてゆきましたが、これから被害が予想される地域の皆様、くれぐれもご用心下さいませ。

さて、ほんの少しぼんやりしたつもりがいつの間にやら月日は経ち、ブログの更新が遅くなってしまいました。

最近いらっしゃる多くの方がブログのお話をして下さいます。
その度に気持ちだけ奮起して、筆不精の治らない駄目なわたくしで御座います。


今日は久々の更新にも関わらず、少し重たいタイトルにしてしまいました。


ご主人が亡くなって生前、死んだら小さな葬式でいいからとお話されていたので家族葬にしたが、そこから色々なことがスムーズにいかないとのご相談。亡きご主人とコンタクトを取ると、一家の主が死んであんなに小さな葬式とは何たることという趣旨のことを怒鳴られたり、我が家に限ってと、遺産相続について個別に口頭で伝えていた為に骨肉の争いに発展して数年経過していたりと、嘘のような本当の話に良く出くわします。

身内が亡くなって、それまでに死に際した時の話し合いをしておらず、葬式、お墓のことや相続にまつわることなどをご相談にいらっしゃる方は多いです。

生きている方の死を語るなど縁起でもないと思われるかもしれませんが、人は必ずいつか天に召されます。

それは明日かもしれないですし、ずうっと将来かもしれません。
しかし必ずその時はやってきます。
日々を生きているとそれが当たり前になりますが、決してそうではなく必ず私達はいつか旅立つのです。


立つ鳥跡を濁さず

そんな言葉があるように、ご自身の死に際した時のことをご家族としっかり話し合い、必要なことは書面に残すなどしてしっかり準備をしておきましょう。
それは旅立つ者として最低限しておくべきことだと、このような類のご相談をいくつも受ける中で、切に思います。

何度も申し上げますが、人は必ずいつか天に召されます。


生きてる方も亡くなった方も、死に際してああすれば良かった、こうすれば良かったと仰いますが、今、此処に生きているということは有限であり、それを超えてどうこう言った所で後の祭りです。

私はいつも寝る前に、明日死んでも悔いなし!そう思える毎日を心掛けています。
多くのことに執着せず、日々感謝で在りたいものですね。


いつかの日がきて、ご自身が死に際したら思うことあっても『来世に賭けよう』そう割り切って、次のステップに進んで下さい。

誰かを残して去る、何かをやり残して去るというのは、時に死んでも死に切れない思いもあるでしょう。
しかし残された人を心配してこの世に留まったとしても、何か出来るわけではないですし、残されたものは時を刻まなくてはならないのがこの世の道理ではないでしょうか。

厳しいようですが魂は輪廻転生、死はその一つの節目でしかありません。
悔いを残さない為にも、今を一生懸命に生きること、これに尽きます。

また、人生の岐路や年齢と共に状況や死生観も変わって来ると思います。その度に上書きをして、周りに伝えて下さいね。
間違っても、言わなくても分かるだろうと化けてくることのないように。

そんな今日の一筆でした。