20数年前、
関東のとある場所に生まれました。


シングルマザーの母親と二人で暮らしてた。

すぐにそこに男が住み着きだして
けっこうすぐに再婚ってなったと思う。

再婚して最初の頃継父は優しくて遊んでくれてたと思う。
僕は普通に幼稚園に通って無邪気な子供だった。はず。

そして妹が生まれた。

そこから人生が一変しました。

何度もいうけど、あまり覚えてなくて笑
まわりに聞いて「あ~そうなんだ」みたいなかんじの事とか混ぜて書くからあいまいですいません笑


妹が生まれてから継父は僕に厳しくなって、
一気に怖い人になった。

明らかに妹とは扱いが違くて、
当時の自分は、妹より下だとすぐに把握したと思う

子供ぽいワガママは言えなくなった
感じたこと、言いたいことも言えなくなった
ちょっとでも出しゃばったら継父の罵声と拳か足が飛んできた

年が重なるたび酷くなった印象がある

妹は物心つくころから
自分を見下してた感じ
なにかあれば、お兄ちゃんにこんなことされた、お兄ちゃんがこんなことしてる、とあることないこと言われて、
そうしたら自分は継父から罰を受けた

罰っていうのは、記憶にあるのは、
風呂場でたくさん殴られる
廊下を雑巾で往復させられる朝までやれ、と言われた
クローゼットに閉じ込められる
水や酒を吐くまで飲まされる
酒が、きつかったな。
(15くらいからよく朝まで酒飲んで急性アル中で運ばれてるけど関係してるのか?)





ほかにも色々あったと思うけど
そんな感じだから自然と学校は行かなくなった

母親がよくこっそり、
継父や妹がいないときに
抱きしめてくれた
ごめんね、て泣いてる姿も覚えてる

そのぬくもりがあったから耐えてられた
と思う

大丈夫だよっていつも答えてた
本当に大丈夫だって思えたし
母親がそうしてくれてる瞬間は




小5?かなんかのときに救急搬送された
継父になにされてたのかはよく分からない


とにかく衰弱して病院で家にもう帰らないことを聞かされた
保護された年だ

救急車を呼んだのは母親だった
でも気づいたとき母親は病院でも会えなかった


もうその頃の感覚は、なんというか、鈍感になってて寂しい、怖い、辛い、とかなんにもなくて
へー
みたいな気持ちだったような気がする


不思議とたすけて、なんて思ったことなかった。
感覚的には、当たり前、みたいな?
これは普通に分からないと思うんだけど、
自分がなにかしたからいけないんだ、とか
自分が悪い、て
そう思うことで、起きてることを理解するために、幼いながらに納得させてきたんだと思う

今でもこの気持ちをすり替えることができない
変なかんじだ


でも今、大人になって思う。
あっちゃいけないことだって。

ただの、弱いものいじめだろが


でも子供って順応性とかがすごくて、意外と強く耐えれちゃうんだよな、中学くらいから段々辛い、とかそういう気持ちが、なんか後から色々でてきた

いちばん辛いはずだった子供時代だけど、
あまり覚えてないせいもあるけど
その後のが辛かったな



今日はここまでっす
書いてて疲れてしまった


あ、でもそうだ
ブログの最後は前向きにしめくくるって決めてるから


自分には頼りなかったけど、味方がいたんだ。
お母さんっていう、
頼りなくて気が弱いけど、最強の味方だったのだ!