昭和45年11月25日、三島由紀夫氏、森田必勝氏が憲法改正を訴えて市ヶ谷台で自決してより、今年で五十二年を迎えました。
↑市谷駐屯地バルコニーにて訴える三島由紀夫氏
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
三島氏が自決する前に記した文章「檄」には、
「今こそわれわれは生命尊重以上の價値(かち)の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統(でんとう)の國、日本だ」
とあります。
そして、その「日本」の中核を成しているのが「天皇」であると考えます。
今回は、「文化の象徴しての天皇」をテーマに、『文化防衛論』の一部を抜粋し、紹介します。
第二に、日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。西欧ではものとしての文化は主として石で作られてゐるが、日本のそれは木で作られてゐる。オリジナルの破壊は二度とよみがへらぬ最終的破壊であり、ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのやうにして敵に明け渡された。(中略)
ものとしての文化への固執が比較的希薄であり、消失を本質とする行動様式への文化形式の移管が特色的であるのは、かうした材質の関係も一つの理由であらう。そこではオリジナルの廃滅が絶対的廃滅でないばかりか、オリジナルとコピーの間の決定的な価値の落差が生じないのである。
このもつとも端的な例を伊勢神宮の造営に見ることが出来る。持統帝以来59回に亘る20年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであつて、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。
大半をローマ時代のコピーにたよらざるをえぬギリシア古典期の彫刻の負うてゐるハンディキャップと比べれば、伊勢神宮の式年造営の文化概念のユニークさは明らかであらう。
歌道における「本歌取り」の法則その他、この種の基本的概念は今日もなほわれわれの心の深所を占めてゐる。
このやうな文化概念の特質は、各代の天皇が、正に天皇その方であつて、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはないところの天皇制の特質と見合つてゐるが、これについては後に後述する。
(中略)
保存された賢所(けんしょ)の祭祀と御歌所の儀式の裡(うち)に、祭司かつ詩人である天皇のお姿は活きてゐる。御歌所の伝承は、詩が帝王によつて主宰され、しかも帝王の個人的才能や教養とほとんどかかはりなく、民衆詩を「みやび」を以て統括するといふ、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺へ追ひやられ、月並は核心に輝いてゐる。
民衆詩はみやびに参与することにより、帝王の御製の山頂から一トつづきの裾野につらなることにより、国の文化伝統をただ「見る」だけではなく、創ることによつて参加し、且つその文化的連続性から「見返」されるといふ栄光を与へられる。
その主宰者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年造営のやうに、今上であらせられると共に原初の天皇なのであつた。
大嘗会と新嘗祭の秘儀は、このことをよく伝へてゐる。
(「祖國と靑年」11月号47p~48p)