ロシアによるウクライナ侵攻について、「台湾有事と関連する」「日本にとって他人事ではない」と指摘する声があります。
もし台湾有事が現実となったとき、どのような自体が想定されるのか。
前回紹介した「巻頭言」の続きとして、
・ウクライナ危機から見えるもの
・自衛隊は動くが政府は崩壊する
の箇所を記します。
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ウクライナ危機から見えるもの
アメリカは台湾有事に際して、どう考えているのか。インド太平洋軍司令部と深い関係を持つ北村淳氏の見解を紹介する。
「万が一、中国による台湾に対する軍事攻撃が実際に起きた場合、沖縄、佐世保、横須賀、横田といった米軍基地は最良の前進軍事拠点となる。…アメリカが主導して編成する台湾支援“多国籍軍”の先鋒として、自衛隊艦隊や航空戦隊、それに水陸両用部隊などが投入されることになるであろう」
「アメリカにとっても、台湾を巡って中国と本格的な戦争へ突き進むことは99.9%避けなければならない。しかし、中国による台湾への軍事攻撃に際して何もしないのでは、アメリカの軍事的威信は地に墜ちる。そこで台湾の人々を救出するという大義を押し立てて、アメリカの“属国”である日本の“多国籍軍”を危険かつ困難な先鋒部隊として台湾に突入させ、自らは『出動宣伝効果』の大きい空母部隊2セットを沖縄南方200海里沖付近と沖縄西方100海里沖付近に展開させ、多国籍軍先鋒を務める勇敢な自衛隊部隊を支援する態勢をとるのである」
「そして台湾問題に日本が軍事介入したことを口実に中国軍が日本列島に長射程ミサイルを連射して、日本の戦略要地が大損害を受けた場合には、国連安保理で停戦協議を開始する」
つまり米軍は、台湾有事の際に動いてるように見せながら、実際は日本の自衛隊を使って前面に押し出し、自らのリスクは最小限にする、という考え方だ。
「日本政府がこうしたシナリオを是認した上で具体的な戦略を持っているとは思えない」と氏は述べている。
アメリカのこのような動きは、ロシアによるウクライナ危機を見れば現実を帯びてくる。小野寺五典元防衛相は次のように述べている。
「ハイブリッド戦は平たく言うと、戦わずして勝つという形だ。台湾も東アジアもどう見ているか。ロシアがああいう形でウクライナに侵攻し、本来応援してくれるかなと思っていたNATOが二の足を踏んで外交の話をしている。理由は、ウクライナがNATOに入っていない、同盟として守る義務がないということ。では、台湾のことを考えるとどうか。米国は台湾関係法の範囲で武器は供与する。しかし、日米同盟のように守るとまでは言っていない」
「台湾の人の中に『自分たち、結局見捨てられる』という話が浸透してくると、やはり中国と仲良くしようかという勢力も出てくる。実はもうすでに東アジア、台湾周辺ではハイブリッド戦が行われていると考えるべきだ」
「この問題は必ず日本に影響する。自国は自国で守るというスタンスがなければ、日本もウクライナと同じようなことになる」
自衛隊は動くが政府は崩壊する
我が国は第二次安倍政権以降、国家の安全保障を総合的に考え戦略を構築する国家安全保障会議(NSC)を創出し、防衛戦略を論議してきた。有事における軍事戦略や防衛予算、省庁を跨いだ様々な問題にも目を向け政府最高レベルでの検討を続け、それは菅政権、岸田政権へと受け継がれている。しかし、全体を見渡す際の問題点をNSC
の下で実務を担ってきた国家安全保障局(NSS)の兼原信克氏は次のように指摘する。
「有事になると、自衛隊は迅速に動き始めるが、武力攻撃事態の際の政府のバックアップ体制が問題です…総務省や経産省などと調整未了の問題が沢山ある。例えば、有事に際して国交省に戦闘機の離着陸のために空港を開けといちいち言わなくてはいけない…危機管理は日頃の段取りが8割です。練習していない方が必ず負ける。このまま台湾有事になったら間違いなくこの政府は崩壊します。自衛隊は動くけど政府は崩壊するという事態になることを危惧します」
防衛力の整備が求められることは言を俟たない。その上で問題は法整備である。有事に際して国会でいちいち議論し揉めては機動性もないばかりか、折角の戦略も有効に機能しない。今、何よりも問題とされることは憲法改正である。
我が国はこれまで憲法9条による一国平和主義、専守防衛の歪な精神を国是として掲げてきた。しかし最早通用しないことは明らかである。憲法改正に真正面から取り組み、わが国を自らの手で守り、アジアと世界に貢献する日本へと変わらなければならない。われわれ国民一人一人が我が国の現実と将来を見据え、憲法改正への大きな国民的議論を起こしていくべき時である。
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以上です。
国民の命をまもるために日本は今、何をなすべきか。
国家の存亡が懸かった分岐点に立っていることを感じます。