昨日の朝日新聞は1面から、AIの進化についての話に占拠されていました。

 

 

私の仕事でも、生成AIがかなりのタスクをこなしてくれるようになり、

人間がやる作業がかなり減りました。

仕事で使っているのは、「次に続く最も確率の高い言葉やデータを予測する」、

いわばパターン思考だけしかできない初心者AIです。

今のAIは、そこに加えて「論理思考」まで実装されつつあるということで、

人間のやる業務がさらにAIに置き換わっていきそうだな、という感じです。

 

そうなると、人間はヒマ(余裕)を今より楽しめるようになると期待したいところですが、

AIによる業務スピードの加速に伴い、生産活動全体の回転も速くなるので、

人間の方も今よりヒマにはならなそうですね。

AIで業務効率化しても、それは世の中全体のトレンドであり、

市場競争原理から、その分だけ休むのでなく、むしろその分だけ業務を増やすのが実際、

人の忙しさは変わっていません(むしろ、精神的忙しさは増している印象)

 

今の子どもらが現役世代となる10年後、20年後、

「生身の人間が担当する仕事」とは、どのような性質の仕事なのか、

そのイメージは日々変化していて、いまだとらえきることができていません。

「プロンプト」「問いをたてる力」がポイント、などと今の時代の我々が言っているのは、

まさに目の前の「今日」の話であり、10年後・20年後には、

これも時代錯誤的に古い話になってしまっているのでしょう。

20年後とはすなわち、レイ・カーツワイルがSingularityの到達を予見した2046年の世界です。

今の子どもたちは、その「特異点」の先の日々を生きるわけで、

その子らに何を教え育てていくか?

国内or海外の受験競争に勝たせる(入試スコア・IBDPの得点力基準)、これがこれまでの教育の事実上の羅針盤。

それで果たして今の子どもらが大人になり、特異点の先で発揮すべき「力」となるのか、

これは誰にもわかりません。

既にその入り口に立っていることを実感します。