やあやあ、とうとう花粉の季節になってしまいました。
自分は花粉症の症状がでたことはないので、違うんだろうなあと思っていたが、この前テレビで、”症状がでなくてもじつはアレルギー体質は潜在しているのだ、いつ出るかわからんのだ”、ということを言っていたので戦々恐々であります
小さい頃からペットを飼っているとアレルギーになりにくい、、、という話があって、自分は今はニャンコどもだけだが、昔からワンコとかチュンピチャとかハムとかコッコとか家にいろいろいたから、平気なのかなあとか、、、 (ちなみに自分はメロン・キュウイアレルギーなのだ、ということを最近知った。メロンって食べるとき口の中がひりひりするのが普通だとおもっていたら、みんな違うというのでビックリしました。。。。)
寄生虫がお腹にいるとアレルギーになりにくいって話も……
で、
●『今昔物語集』巻二十八第三十九にある話。
ある女が「寸白」を腹にもったまま結婚し、子供を産んだ。
寸白というのは今のサナダムシのことだそうな。
で、その子はやがて任官して信濃守となった。
現地に赴任するにあたっての「坂迎」の宴席上で、地元の名産、クルミ料理が振舞われた。信濃守が「術なげに思へる景色」なのをみて、歓迎役の介は不信に思った。
「『もし此の守は寸白の人になりてむまれたるが、此の国の守となりて来るにこそあめれ』…」
それで介は、酒にクルミをたくさん擂り入れて熱燗で出した。
このクルミ酒を振舞うのが通例であるといわれて、守は…
「ふるふふるふ杯を引き寄するままに
『実には寸白男、さらにたふべからず』
と云ひて、さと水になりて流れ失せにけり。」
当然、上を下への大騒ぎ…。
信濃守といえば「受領は倒れるところに土をつかめ」の話の主役・藤原陳忠も信濃守であった。なんかそういう風刺めいたことが隠れているのかも知らん?
で、どうして、クルミが寸白の正体あばきに効果があったのか? それがわからんので、いままで興味をひきながらもスルーしていた話。
今でもわからん。
胡桃=久留美は、縄文時代の遺跡からもたびたびでてくる、わが日本人にはポピュラーな栄養豊富な食材だった。免疫力を高めるといわれるアルギニン(アミノ酸)、お肌によいといわれるビタミンB1…‥今だからこそわかった効能の数々を、長年の経験でよいものとかんがえてムシ退治にもよいと判断したのか?
●腹の虫退治の話では、同じく『今昔』の巻二十四。
典薬頭某が、一門の医者仲間ら家族そろって七夕パーティを開いて楽しんでいると、「一身ゆぶゆぶと腫れたる」五十ほどの女がやってきた。
なんでも、5、6年ほど前からこのナゾの腫れが現れて難渋していたが、今回、多くの医者達が一堂会するときいて、これなら誰か分る人があるであろうと考えて参上したというのだ。
典薬頭は「‥『これは寸白にこそありぬれ』」
と思い、メンツのなかでよさげな医者を指名して診せたところ、
「『定めて寸白に候ふめり』」と診断した。
それで、オケツから寸白を引き出すこととなったが、これが…
「抜くに随ひて白き麦のやうなる物さし出でたり。
それを取りて引けば、ながながと延ぶれば、長く出で来ぬ。
出づるに随ひて庁の柱に巻く。
やうやく巻くに随ひて、この女、顔の腫ひきて色もなほりもて行く。
柱に七尋八尋ばかり巻く程に、出で来はてて、残り出で来ずなりぬ。
時に女の目鼻直りはてて、例の人の色つきになりぬ…」
あとは「薏苡湯(ヨクイトウ)」という漢方薬を使って治療をするのだ云々。
薏苡(ヨクイ)というのはハトムギの殻を剥いた状態のもので、効能は滋養作用、緩和作用、利尿作用、とくに関節痛や筋肉痛によく効くそうな。だからこれはムシそのものをやっつける薬ではなく、弱ったからだを立て直すための薬湯。
因みに『医心方』巻三十には「石榴(ざくろ)」が、「根は蚘虫(廻、腹中の長虫)、寸白を療す」とあるそうな。ただし「多食すべからず」で、実際とりすぎると中毒になるので注意と現代の漢方にも書いてある。
『医心方』編纂したのは丹波康頼。以来丹波家は、代々宮中の医療をつかさどった。きっと上の話の典薬頭とか仲間の医者も多く丹波氏であったんだろう。
●丹波氏はまた「鍼博士」でもあった。
康頼の子孫で、平安末期の典薬頭・丹波重基も三上…もとい鳥羽法皇のために鍼を施した一夏があったと思いたまえ。
伺候した人々、徒然に
「『巡物語つかまつるべし…同じくは仏神霊験の事を語り申すべし』」
スキダネエ!
ということになり、重基は自分がケイケンした不思議な夢の話をする。
八幡を信仰していた重基が、石清水社頭で五部大乗経を供養しようと準備していたところ、ある夜の夢に、摂社である若宮御前が、鵇毛(ツキゲ)の御馬に駕し御して、持仏堂の縁側に現れた。なんで「若宮」と分ったかというと、手に白杖(白払子とも)を持っていたから。
で、
『吾れに契り深き者の、いとおしく思しめすが、病の事を問はんが為に是に来べきなり』
その人はほんらいは石清水ゆかりの人なのだが、フクザツな生まれなので、今は高野山にて修行をしている。あまりに優れた人なのに、神との縁がきれてしまってはつまらない。で、若宮神が念のために夢告をしたのだ。
目覚めた重基は、ほんとうにそんな人が来るのだろうか? と縁側で待っていると、お告げどおり、一人の修行僧が現れた。
実は、石清水二十五代別当・光清の息子・成清であった。成清の母は歌人として知られた小大進(彼女が別の男との間に産んだ人にこれまた有名な歌人・待宵小侍従がいる)。
で、
光清にはすでに複数の妻とのあいだに何人かの跡取り息子があったが、どういうわけか小大進だけはオンナノコばっかり生まれてオトコが生まれなかった。それで、熊野権現に祈りに祈ってできた申し子が成清である。しかし、しっかりした後見人がいなかったりするので、ほかの後継者との争いを避けるためにも、八幡を離れて、仏門修行にでていたのであった…。
‥この不思議話が上の人たちの知るところとなり、やがて成清は異腹のきょうだいたちを押さえ抑えて三十代別当になるのであるが、、、
この成清が、修行の最中に、丹波重基に会いに行ったのは、実は「寸白の所労過法なるに依り、医者を訪はむが為」なのであった。繋がった!
ところが、この病気は若宮神にいわせると「それは指せる病瘂に非ざるなり」ということであった。
以上、『古事談』巻五。
ちなみにこの話は『八幡愚童訓』にもあって、そこでは重基は話を人々に紹介しただけで、実際に霊夢を見て成清をみいだしたのは、おなじ丹波一族の丹波実康という人になっている。また、病気もただ「所労の事有りて」ということで、ハッキリとは語らない。
とにかく書いていないので、どういう症状でどういう処方をしたのかはわからない。
けれども、針医が寄生虫退治に活躍していたことは間違いないらしい。
●グっと時代下って、桃山時代に書かれたと思われる鍼術の秘伝『針聞書』には、じつに63種もの「腹の虫」が図入りで紹介されている。
我らが「寸白」という名のものだけでも三種ある。
①「寸白虫」…「此虫は大シハの下にかたくなりてあり。常にはかくの如くにあり。冷ゆるときにはキンへ入、痛むることかぎりなし。一年に一度二度、又は月に一度程をこるは針やがて効くなり」つまり、男性のアソコに潜んでおるのだそうな。ゾー
②「鳴き寸白」…「腹をつかめば鳴る虫是也。韮・梹榔子を呑て皆消する也」
③「噛み寸白」…「肝の臓後に出る虫也。大悪虫也。薬を不用、節ごとに口と成て身の内をつつく。ソバの粉に芦毛馬の尾をいかにも細に刻て、ソバ粉にまぜて能酒にてねりてくへば虫消也」
ふうん。②と③は本物の寸白ではなくて、「アメリカライオン」みたいに、似ているからつけられた名前にすぎないのかも。
でも、この寸白は普通の下痢程度ですむサナダムシとは様子が違うようである。
●さらに時代下って、元禄時代に盲官の最高位である、関東総検校として杉山流鍼術を開いた杉山和一が残した三部書のひとつ『療治之大概集』「諸蟲門」に、いろんな腹虫には九種類あるとして、それぞれの名前と形状と、有効なツボを紹介している。
「諸の蟲、多く生じて心を貫けば人を殺す。」
コワ~。
そして、我が寸白については‥
「‥世に寸白と云ふ物有り。臍上に張り、陰嚢を苦しむる者なり。‥大横、寸白によし‥」
大黄というのはお臍から両脇へ水平に横へいって、オッパイの真下あたりの・腰骨の上の方あたりのツボのことらしい。また、「大赫、陰嚢腫るるによし。」とある。これは急所のちょっとうえくらいのところ。。。
たとえば蚊が媒介するパンクロフト糸状虫などは、リンパや手足に侵入して、そこを膨れ上がらせ、ときに男性器周辺を膨らます。昔の見世物小屋にいた「金玉男」とかいう奴はその患者だった可能性もあるそうな。
ああ、昔、有名な目黒の寄生虫館でみた「象皮病」という症状の写真があったけれども、、あれか。。。
●だんだん話が違ってきているが、もとは信濃の寸白がヒトに化ける・生まれ変わるという発想はどこからきたのやらということであったが、どうも「寸白」にもいろいろ種類があったようでやはりカンタンには調べきれないのであった。
体内の虫といえば庚申講の三尸虫が不思議領域では有名だけれども、ほかにもいろんな虫があるようなので、これはシリーズ化して引きずることにする。
……ところで、、虫ってペット経由でウツルこともあるんだった…。。