猫魂!(鍋島化猫騒動) | 不思議なことはあったほうがいい

 ボクの48大漫画・つの丸先生の『みどりのマキバオー』に、「猫魂!の巻」という話がある。

 ドバイでの競馬ワールドカップ、苦戦つづきの日本チームに、助っ人としてベアナックルが参戦する。

そもそもおまけあつかいだったベアは、ドバイへ向かう途上、シンガポールで町へ出て飛行機に乗り遅れてしまい、泳いでやってきたのだった。その過程で猫の棲む島に上陸し、そこの猫たちを手なずけて手下にしての到着。仲間の馬たちは迷惑顔だが、過酷なW杯にはこんな桁外れな奴こそふさわしい。卑怯なライバルからの差し入れ・毒りんごを、ベアと猫たちが食べてしまい、ニャンキーが死亡。怒り狂ったベアはニャンキーの仇討ちと称してレースにのぞみ、ぶっちぎりの勝利をあげる‥‥という話。ベアのめちゃくちゃギャグが、緊迫なムードを和ます役割を果たしているのだが、個人的にはベアのギャグはヤリスギで、逆に興ざめしてしまう。

 まあ、猫の敵討ちだから「猫魂」なのかなあ、って思っていたら、アっそうか! さすが「つの丸大明神」である。

 ベアナックルは「鍋島厩舎」に属し、「肥前の熊」とあだ名されるのであるが、この肥前・鍋島こそ「猫魂」の本場であった!!


 またまた個人的には昔の映画『怪談佐賀屋敷』(1953年・大映)をレンタルで観たときの感想は、入江たか子さんの怪演に拍手するも古い映画だからいまいちメリハリが‥。


 平均的なストーリーはこんな感じ↓。

 ①延宝(1673~1681)の頃。佐賀鍋島の藩主丹後守は、かつての主君筋であった竜造寺家の盲目の青年(又七郎とか又一郎とか‥)と碁をたしなんでいたが、トツゼン無礼ナリと斬り殺す。作品によってそのあたりの事情がいろいろ変わる。実は藩政を我が物にしようとたくらむ悪家老の企みがあったり、藩主が青年の妹をおめかけにしようとして断られたヒステリーとか、鼓打ち大会で藩主側にひいきしなかった恨みだ‥‥とかとか、あったりして。

 ②で、悲観した母親が(妹の話では妹が)、恨みを残してグサ! 自害すると、彼女のかわいがっていた飼い猫(先の映画ではコマちゃんという名前だったにゃん)が、ペロペロとその血をなめて‥‥。

 ③以後、城内には奇怪な事件が続出。夜桜見物していた殿を怪物が襲う! 奥の腰元や殿お妾さんに乗り移って大暴れする!(先の映画では入江たか子さんはその憑かれたお豊の方を演じた、でも話によってはお豊さんはまっさきに化猫に食い殺されたりもする)。にゃんにゃんとお手手をくりくりすると、人間(死体)がゴロンゴロンところがったり飛んだりはねたり、和装のお姫さまがぴょんぴょんと火見櫓にのぼったり‥‥

 ④結局、城内の剛の者によって斬り倒されるのであるが、最後は、ばか殿さまが改心するのもあれば、みごと藩主の座を転落させられるというものもある。

 

 結局、映画でも・歌舞伎なんかでも、化け猫の暴れっぷりや変身メイクにこそ華があるので、おさえるべきポイント(①理不尽な殿様による竜造寺家への仕打ち→②家族の者が恨み死にし、それを愛猫が引き受ける→③城内に憑物が出る→④退治される)さえ抑えておけば細かいところは変幻するので、ウルトラマンとか仮面ライダーとかと、まあ、やっていることは一緒。 


 ベアナックルのあだ名「肥前の熊」とは、戦国時代、そうそうたる群雄割拠の九州にあって肥前を統一した竜造寺隆信のことである。天正十二年、島津・有馬の連合軍に破れ、隆信は敗死、重臣たちは主の遺体を残したまま、さっさと佐賀へと逃げ帰った。そもそも、隆信じしんがあんまりに冷酷な人物であって、部下たちもかなり嫌気がさしていたからなんだ、とも言われ、後日、島津側が首を返すと言ってきても、家臣らは断ったとかなんとか逸話があるが(「どこぞでも捨ててくれ」とまで言ったとか)、問題はそのあとだ。

 竜造寺家勃興の立役者である重臣・鍋島直茂は隆信の遺児を城主として補佐役についたが、実質権力を握ることになる。秀吉のきこえもめでたく、朝鮮出兵には自らが大将となるなど大活躍。幕府が開かれてからもその勢力図は変わらぬまま、慶長十二年(1607)に、藩主・急死のゴタゴタのうちに、鍋島家が藩をのっとる形になってしまった。藩主・竜造寺高房の死は、ご乱心によるもので、妻を刺し自らも、という無理心中だったといわれる。それもこれも鍋島の専横のせい! 死に切れなかった高房は手にかけた妻の亡霊に悩まされるなどして輪をかけてご乱心、ついに衰弱死したのだそうな。じつは高房には子があったのだが、チビだったため、直茂の命令で出家させられてしまう(成長したのち、幕府にお家再興を願い出たが、退けられてしまう)。
 すると、佐賀城下では、馬にまたがった高房無念の亡霊が街を駆け回っているとか、実は殿様のお子たちは直茂によって殺され壁に塗りこめられたんだとか‥‥へんなウワサもチラホラ。


 で、政治事件や噂の数々に、古くからある「腕を返せ!」(→関連「土蜘蛛 」)系とか、「流しの下の骨見ろ!」系とか、の化猫猫又怪談などと合一して、うまいこと仕上げたのが、三代目・瀬川如皐。

 嘉永6年(1853年)「花嵯峨猫又双子」という芝居にしたのが大ヒットして、さすがに鍋島藩関係者からはクレームもあったらしいが、以後、講談・歌舞伎に手をかえ品を代え登場し、有馬、岡崎などでも同様の政治事件とからませた話が誕生し‥‥。


 ところが、佐賀・鍋島にはもうひとつの「化猫」騒動があって、「怪猫伝」と称される。時代は享保年間、小森半太夫という藩士が、父の愛猫(唐猫)をかわいがらなかったので(父は猫を捨てろと遺言したが飼いつづけた)、猫が恨みを抱いて、怪物化してさまざまな悪事をなすが、殿様のおめかけ・お政の方が化け猫で、やっぱ退治される。政治的裏話は無いが、猫が長崎出島からやってきた唐猫というのが面白い。

 そもそもニャンコは日本にいなかった、だけに、鎖国下の日本では北九州は異国の猫が伝来しやすく、猫もよそより多かったのかもしれない。(九州北部といえば〈河童伝来の地〉でもあるし、モンゴルも攻めてきたし(→「もくりこくり 」)、ナニかがやってくるというワクドキ感が常にあったんだろうなあ→関連「塗り壁」


 人が亡くなったとき、猫を近づけてはいけないと俗にいう。猫が死人の枕元をポンと飛ぶと、死人がよみがえるのだとか、あるいは、食卓の上を猫がポンと飛ぶと、その食事をしたらあの世ゆき、とか、ネコにタマという名前が多いのはほんらいはお宝の「」なんだろうけど、「」の意味をくみ取るむきもあったであろう。どこでだったか忘れちゃったがじっさい、ネコ憑きにやられることを「猫魂が入る」と表現する地域があるそうだ。ベアナックルはそれだったんだね。


 ネコと暮らしているとちっとも怖い気がしないんだが、そうでない人は、やっぱ不気味な存在に感じるんだろうか? ペットを飼うのにも気を使わないといけないね。