過去のブログを裏に収めました後
コメント交流のない多くの方々から
メッセージを頂戴致しました
ありがとうございます

メッセージの多くは
記事を再投稿してほしい
という内容でございました

当時の想いと共に
ご希望を賜りました記事を加筆し
再投稿させて頂きます

深謝





わたしの背景

父方の祖父は銀 行 創 設者
母方の祖父は地 方自 治 体の首 長
母は一族の中で育ち 
その一族で初めて
一族以外の人と結婚


祖父母 父の姉と妹 父の姉の一人娘
両親
の中に育ち
弟 妹
と増える


わたし 幼稚園年長 5歳
習い事のクリスマス会にて
プレゼント交換会開催

わたしは
自分で作った作品をプレゼントにしました

後日
わたしのプレゼントを受けった女の子の親が
我が家に乗り込んできた




うちはプレゼントを買った
どうして娘は手作りのものなのか



そのことを知った祖母と母は
わたしを叱責

一家の名に恥じる行為だと


アイデンティティを否定する家に
疑問が芽生えた5歳のこの出来事が
のち
18歳の家出と繋がりました



現代は多様性の世 

当時は世間体がすべての時代

時々 思うのでございます

わたくしは 遺伝子の異物と



母方は一族で
一族の中で結婚をし
子孫繁栄をしてきた

母方の祖父は疑問を感じて
自分は一族ではない女性を妻として迎え 
娘を一族ではない家に嫁として出した

けれど
時、遅し 
みたいな、ね























(2023年12月5日投稿)









膝を抱え、このビルの袂で一晩過ごした


大学をやめ18歳で家出をした

 

 

 







お腹にいた娘を堕胎した

死亡届を書いた



その娘の父親と

やり直し結婚を約束し

両家に挨拶を済ませた半年後


別れを告げられた



その数日後

海外へ飛んだ

20代前半


















日本から遠く離れた国で


国際結婚をしようと約束し


準備のため日本に帰国した



離れ離れになっている中



前妻と電話で話した



相手から聞かされた瞬間

その愛を瞬間冷凍した

即、別れを決めた

20代後半





SEIKOは 

お母さんになるのが一番合っている

記者には向いていない


新聞社からのビザの延長下りず

約4年間の海外生活から帰国した














一緒に死のう 

そう話をされた

20代後半


車で堤防から海に


と2人で決めた



両親あてに遺書を書いた



実家から車を走らせ
同棲先のマンションへ向かう


何十年も走ってきた首都高の


何百回も右折してきた分岐を




あの時だけ

間違えて直進してしまった


マンション到着が遅くなり

相手は不機嫌


死の決 行は延期された

車線変更をミスしたあの日があって

私の今はある















結局


死にたい気持ちが変わらないそのお相手の


自害を引き止めることを止めた




わたくしだけは生きる


自害する人間は置いていく




絶対に振り返らず

ひたすら前を見て生きると覚悟した



















残りの人生に思いを馳せ

主人と別居することを決断した






ありのままの


本当の自分を生きる



殿との出会いから1年経った2022年だった



















どの日も人生の転機ではない







いつのときも




覚悟と共に生きている




わたくしは




いつのときも変わらない














殿は


ある日


わたくしの魂を揺さぶった






愛する殿に



全身全霊の愛を注ぐ覚悟をした


なにがあっても







わたくしの命が尽きるまで