子どもは親の価値観で
はじめての世界を知る。
本来なら物心つくころには
それは親の価値観であって
世界のすべてではないことに
気が付けていたら
こんなに苦しむことには
ならなかったのだろう。
私は
私たちは
気が付けなかった。
親の好きなものを
好きじゃないと言えなかった。
親の嫌いなものを
嫌いじゃないとは言えなかった。
自分の気持ちをそのまま
親の前で表現できなかった。
好きだとも
好きじゃないとも。
嫌いだとも
嫌いじゃないとも。
バラエティー番組
本当は観たかった。
人とちがうことするの
本当は嫌だった。
目立つことするの
めちゃくちゃ苦手だった。
派手な洋服きるの
本当はやめたかった。
薄いカレーが
本当は好きだった。
なにひとつ言えなくて
いつも親の価値観や好みに
迎合してるだけだった。
お金やもので人のことを
思うように動かそうとするところ
ものすごく軽蔑していた。
今でもそういうところが
嫌で嫌で仕方がない。
それでも今なら少しだけ
わかってきたこと。
この人たちはその方法しか
知らないのだろううと思う。
かわいそう。
哀れ。
だからと言って
それを子どもに強要なんて
していい理由にはならない。
価値観の話。