〝子どもを信じる〟ということ




私は あの子を信じている



と、よく言っていた






この〝信じる〟って

今 思えば私の母親としての
エゴの塊だった様に思う






きっと以前の様に
みんなと同じ様に
〝まとも〟な生活をしてくれる日が
きっとくる





自分のことを省みて
変わってくれるはず





周りに恥ずかしくない
人生を歩んでくれるはず




きっと
そういう日がくる




きっと次女は
立ち直ってくれる






そう
次女のことを信じていた






次女にとっては
きっと
プレッシャーでしか
なかったはず





こんなの
本当の意味で〝信じる〟
ことではない








じゃあ
〝子どもを信じる〟ことって


どういうことだろう?








何を信じるんだ?







???









今の私が思う

その答えは






〝子どもを見守り続ける〟

こと






これかもしれない








子どものことを見守る

子どもの生活を見守り

子どもの選択を見守り

子どもの失敗を見守り

子どもの人生を見守る







出したい手や口を


極力 出さずに


見守ることって


凄く凄く我慢と勇気がいること






けれど






きっと

その先に

〝子どもの大きな成長〟

があると思う






〝子どもを信じること〟


子どもの成功を信じること



ではなく、






〝子どもを見守り
成長を共に喜ぶこと〟






そう



これが
今の私が思う答え







ringo看板持ち