断捨離中・・・

ですが、またしても捨てられないもの・・・

もう一つ・・・

発見。

 

 

『逸見日記』

 

 

そう記された大学ノート。

通常のノートの幅を超え3倍くらいに膨らんでいるそのノートは・・・

 

そう・・・

フジテレビのアナウンサーからフリーになり・・・

その後も大活躍された、逸見政孝さんの取材日記。

 

 

これを開始したのは・・・

ノートの表紙にも記されている、

1993年9月3日。

 

この日・・・

逸見さんはそれまでに見たことのない、

ガンの報告会見を開きました。

 

会見で発した時間ごのとコメントをプリントアウトしたもの・・・

一言一句、漏らすことなく記された内容を貼り付けています。

 

 

生中継されたその会見・・・

翌日の視聴率は16%、異例の高視聴率でした。

 

 

この日から・・・

 

 

毎日・・・

   毎日・・・

 

 

情報番組各社、新聞各紙は、

日々移り変わる逸見さんの病状を伝えました。

 

 

そして・・・

このニュースと同時に私は・・・

逸見さん取材担当リポーターに。

 

 

日々の動き・・・

どんなことも逃さず取材していこう!

毎日の情報もくまなく集めようと・・・

逸見さんの病状を日々注目し元気に生還されるまで見守ろうと、

この『逸見日記』に綴ることを始めたのです。

 

 

会見の翌日に入院し、

その後、誰もが祈り注目した・・・

9時間の大手術。

 

手術後の報告・・・

事務所のスタッフの病状会見に駆けつけました。

この日から・・・

 

 

逸見さんが病状回復し・・・

またあの笑顔で登場する日を待ち望み・・・

 

 

さらに、毎日・・・

病床で闘っている逸見さんの様子をお伝えしました。

 

 

時には・・・

ご家族、そしてご縁ある方からのエール・・・

 

 

日本国中が・・・

元気になって戻ってくる逸見さんを信じ・・・

 

 

その日を・・・

待ちわびました。

 

 

もちろん・・・

私も・・・

 

 

そして・・・

 

 

最初のガン報告会見から・・・

3ヶ月。

 

 

それは・・・

突然の知らせでした。

 

12月・・・

私が担当していた午後のワイドショーは・・・

年末に入り、その年の最後の放送を終えた、夜・・・

 

一本の電話の知らせで・・・

テレビ局に呼び戻されたのです。

あれはクリスマス・イブの夜・・・

 

逸見さんの病状の急変でした。

 

翌朝・・・

すでに自身の番組は年内終了していたため・・・

急遽、私は朝の番組「ルック!ルック!こんにちは。」に出演。

3ヶ月間で見た逸見政孝さんの様子をお伝えすることになりました。

 

この時のことは・・・

今でも鮮明に覚えています。

 

1年の仕事を終えたディレクター達も皆、急遽局に呼び戻され、

クリスマス・イブでデートと言っていたスタッフも、

すでに1年間のお疲れ様でお酒が入り顔を真っ赤にした者も、

みんな、みんな、早々に局に舞い戻り・・・

それは、語らずとも心一つになった瞬間でした。

 

おそらく、そこにあったのは・・・

逸見さんのお人柄・・・

そして、テレビ局で戦ってきた同業者という立場もあったからでしょうか。

 

集まったプロデュサー、ディレクター、リポーター・・・

皆が逸見さんを思い・・・

「しっかりとお伝えしよう、逸見さんの生き様を!」

そう考えていたのだと思います。

 

『逸見日記』

そこに記された、内容。

病床での逸見さんの情報と共に・・・

私が思う言葉も書かれています。

 

あんなに・・・

毎日毎日、一つのことに集中して取材したこと・・・

これまで取材した中でそう多くはありません。

 

ただ・・・

ひとつだけ・・・

後悔が。

 

実は・・・

最初の逸見さんのガン報告会見・・・

私は出席していないのです。

 

数日前、ディレクターから電話があり、

「逸見さんの会見があるので行ってもらえますか?

   ただ、ちょっと・・・

     普通の会見ではないと思うんです。」

 

不思議なお知らせに不穏を感じつつも・・・

その日、私は会見場に行く予定でした。

 

日本からの連絡を受け・・・

その前週から夏休みで滞在していた場所から急いで帰国することに・・・

ですが、休暇を取っていたハワイからの帰国便が空港に行ってみると

急遽、直前の時間になり飛ばないことがわかり・・・

仕方なく、もう一日現地に滞在することに・・・

 

なので・・・

私は最初の逸見さんの表情を見ぬまま・・・3ヶ月間取材。

だからこそ、なおのこと、元気になった逸見さんに会いたかった・・・

会って、きちんと取材のノートを納めたかった。

 

その後・・・

 

引き続きお伝えする取材の中で・・・

逸見さんの素敵なご家族とお時間をいただく機会がありました。

そして、逸見さんご本人の素晴らしいお人柄を知ることになりました。

 

28年前の・・・

忘れられない・・・

大切な大切な『逸見日記』

その取材の一コマです。