私の家は寺なので年末年始の暫くは、体調がおかしくなるくらい忙しい。年々その疲れが取れにくくなってくる。年なのかもしれないと思う。今年は仕事の傍ら、「朝生」を見ていた。もちろん、テレビの前で釘付け状態ではなかったので、全てキチンと見た上でというのではなかったことを断った上で、気になったことをまとめたいと思う。


 司会者「田原総一朗」を含めて、現在起こっている事に対する危機感が希薄すぎるのが目に付いた。山本太郎さんだけがまともだったけど、あのテンションが裏目に出ていたのが残念、というより、あれが番組の狙いだったのかなぁとさえ思えてくる。


何度も言うようだけど、この原発の問題は、政治では絶対に止められない。本来の放射能の問題としてキチンと処理されるのは、残念ながら取り返しの付かない悲惨な事態が誰の目にも明らかになってからでないと「だめなのだ」と私は思っている。日本のような「お友達国家」というか、流行の言葉でいう「絆社会」では、その実態はどう考えても隠し通せない。だから、その時点で、確実に原発は止まる。しかし、そうなってからでは遅すぎるのだ。無残なこの国の子供たちの現状を考えると心が凍る思いだ。


では、今、何が出来るのか。そんな視点をどこかに隠しながら、本当はこの番組は作られなければならなかった。あえて深夜に、しかも朝まで討論するのは、他ならぬそのためではないのかと私は思う。しかし、残念ながら、そんな意図は何処にも見て取れなかった。


「田原総一朗」のいつもの調子がやけに気に障った。どっちについているかハッキリしなくてもいいという司会者の立場を逆手にとって、立場をハッキリさせないままに、「本当は私だけは正義を知っているのだよ」とばかりに参加者の発言を遮ってまで自分の意見を述べようとする。しかしその割には、その立ち位置が次の瞬間、たちまち逆転する。いつもの事だが、この番組独特のこの雰囲気は田原氏に負うところが大きい。今までも朝まで頑張った割には結局「何だったのさ」という所は在ったけど、それでもふっと気を許した政治家が本音を語ったりする事で辛うじてバランスがとれていた。しかし、今回はそれでも後味が悪かった。田原氏のいつもの論法がやたらに古臭く、老いを感じさせられたのは私だけだろうか。


多分、この福島の問題はいつもの田原氏の手法が通用しないほど、問題が深刻で、しかも、どうすべきかがハッキリしているからなのだろう。


田原氏がまともなら、ここに顔を出している政治家や見慣れたお馴染みの推進の論客たちが、事実の重さの前に青ざめて、立場を捨てて、居てもたっても居られなくなる程の想いが飛び交う場になった筈。参加者全員のそんな人間としての本音が垣間見えてこそ、朝まで語る意味がある。


とくに福島の人たちをたくさん呼んでおきながら、あの不始末は何なのだろうかと思う。参加者の出身地がハッキリしないから、全員を「福島」でひと括りには出来ないが、少なくともかなりの人たちは、残念ながら、元の生活には戻れない。しかし、そのことをハッキリと伝えきった人は誰もいなかった。

「俺たちをどうしてくれるのだ」と彼らに言わせ続ける以外に司会者である彼の出来ることは本当に無かったのだろうか。


視聴者の質問が核心を突いた。

「チェルノブイリを経験してもなお、福島の人たちは何も起こらないと思っていたのか。危険を指摘する人たちの声は届かなかったのか」


居並ぶ福島の人たちは誰もが「危機感は無かった」と率直に現実を認めた。「あなた方は騙されたんだよね」田原氏の一言がその場の空気を変えた。深く頷く福島の女性たち、さあ、ここからと私は固唾を飲んだ。その時、福島の年配の男性が不機嫌そうに発言を求めた。

 


「俺たちにそんな質問されるいわれは無い」


この一言でその場はなんと終了ー。田原氏をはじめパネラーの誰もが、二の句が告げないのだ。福島の人たちを前にして何も話せない。そのこと自体が、多分、それぞれが今まで生きてきた生き方そのものを物語っていたに違いない。パネラーたちは「その場」によってその時自分の在り様を深く問われたのだと私は思う。


その福島の人たちは、どんなに大変でも、もう、村には帰れない。そればかりか確実に「元の福島」には戻れないのだ。どんなに不条理でも残酷でも、そこを受け入れることからしか始まらない。そして、原発が一度事故を起こせば、こうなるのだということを身をもって知ってもらわなければならない。だから原発事故は限りなく不条理で限りなく重大なのだ。


騙された人たちには騙された責任がある。少なくとも、その事に気が付いて、後悔してもらうことだ。そこがハッキリしない限り、同じことが何度でも繰り返される。福島の人たちには二度と同じ人たちを作らないために、最低限度の責任を果たしてもらわなければならないのだ。


押し付けた電力や国家は一番罪が重いけど、受け入れた自治体があったからこそ出来たのだ。そして支持した世論があったからこそ今まで続けてこられたのだ。


これから、健康被害は東日本全体に広がる、目を覆うばかりの悲惨な出来事が私たちの身に降りかかる。形は違っても、被害者は福島の人たちだけではないのだ。


この原発の問題は福島の人たちに限らず「被害者」として胸を張れる人など誰もいない。私たち一人ひとりが騙されたことを深く自覚しなければならないのだ。あの時「あなた方だけではなくて私たちもみんな騙されていたのです」田原氏がキチンと言えれば、その福島の男にキチンと向き合うことが出来ていたに違いないと私は思っている。


原発は政治では止まらない。たくさんの人たちの生活と命を犠牲にしなければ、残念ながら止まらない。原発も基地や戦争と同じく、日本の国家そのものだから、つまり国家を動かす資本の論理そのものだから・・・・。この論理は私の住む小さな市にも、原発を止めた今もなお、しっかりと生き続けている。

 

田原総一朗氏もかつて原発建設に賛成する論客の一人だったことを書きながら私は思い出した。あなたは決してそのままで死んでいただく訳にはいかない。これから日本中で炸裂する「時限爆弾」の火の手の中で、かつて日本を動かしたインテリの一人として、血を吐く思いで、言論の場に立ち続けて貰わなければならない。決して私たちは逃がさない。

 


原発立地予定地で、実際何が起こったのか。