私の一番目のレスリングの先生。
恩師、木口道場の木口宣昭先生。
父の友人。
父が兄徳郁を木口道場にお願いした所から、私達三兄弟のレスリングサクセスストーリーは始まりました😊
木口道場じゃなければ、元々気持ちもレスリングも弱かった私は間違いなく世界チャンピオンにはなれていません。
私がレスリングを始めたきっかけは、
兄が木口道場で練習をしていたからです。
毎週末、兄のために(父もレスリングが好きだからかな?笑)家族総出で木口道場にいき、2時間?の練習を待ってました。
待つ時間はとても長く感じ、木口道場くっついていたコンビニの裏でウロチョロしたり。それはまあ暇すぎて大変でした😂
ある日、マット運動だけ参加した事を覚えてます。
すると、
え?私ってもしかして天才だった!?と思いました😊
だって、褒められる褒められる😂
マット運動した次の練習から、確か当時3歳?だった私は迷う事なくレスリングをスタートしました。笑
それからは、マット運動や準備体操、基礎トレーニングは楽しく参加し、実践的な練習になると、
みんなの奥の奥の奥の方に姿を消し、息をひそめ、壁と一体化してスパーリングの終わる時間を、気配を消して待ちました。
そんな事してもコーチ達には見られてるのに。笑
しかし、怒られる事はありませんでした。
練習の最後には、いつもゲームをしました🕹
身体を動かすゲーム😊
木口先生はみんなに今日はなんのゲームをしたいか聞いてくれます✨
私の好きなゲームは、ハンカチ落とし❣️
それまで気配をけしていた私は、そこからスウィッチが入り、
ハンカチ落としー‼️先生ハンカチ落とし‼️
と言います。笑
先生は発言した子供達の意見を聞いてくれます😊
そう、私の意見も❣️
練習中隠れてるのに!なんて一度も責められた事はありません✨
たまに、先生に捕まると、持ち上げられてスクワットの重りになったり、フォールの態勢から逃げる練習させられたり、先生の筋肉自慢に付き合わされたり😂
とにかく楽しかった。
先生はギターが弾けて、歌もうまくて、英語も堪能で、
練習の後にはよくチームでバーベキューしたり、
先生の英語の歌をギター弾きながら歌うコンサートもしました。
毎年、プロレスラーの故デストロイヤーさんが連れてくるアメリカからの小中学生の子供達のチームをホストして、
東京では木口道場の親達がホストしたり、その付近のファミリーがホストし、
小学生の全国大会に参加して、色んな地方のレスリングチームも巻き込んでアメリカチームのホストを🇺🇸してました。
その子達が帰ると、今度は日本のちびっこレスラーが一か月親元を離れてアメリカでホームステイをしました。
兄も参加した事もあり、私も12歳の時に1か月アメリカに行きました😊
コロラド、モンタナ、ウィスコンシン。
初めてのアメリカ、初めてのホームステイ、初めてNFLのチームの練習を見学させてもらったり。
本当に最高でした。
私が子供の頃、全国大会であたる女子はとても強く、私は出ても一回戦負けなんて当たり前。
しかし、
中学に上がる頃には、周りの子はどんどんレスリングから離れて行きました。
弱かったけど、レスリングが好きだった私は何とか中学なっても続け、チャンピオンにまでなれました。
木口先生がいるだけでその場は明るくなります😊
先生自身、アメリカ留学ではわからない言葉は全て辞書で調べて独自で英語を学んだそう。
私も頑張らないと…
何も言わずにノリの首根っこ捕まえて、ヘイ!と言えるのは木口先生だけなんじゃないかな?笑
先生、シカゴにもいったんですね‼️
マイケルジョーダンの家の前❣️
私達弟子からは絶大なる信頼。
人生を楽しみ、周りを太陽のように照らし続けた先生。
先生が私の先生でいてくれたから、
私は今でもレスリングが好きでいられてます。
最高の指導者であり、最高の師匠。
レスリングの楽しさ、
生きるという事はやりたい事をする、
良い人間である事がどうゆう事なのか。
沢山の学びをありがとうございました。
天国でもきっとフルパワーで周りを楽しさの渦に巻き込む事と思います🧡
徳郁の事もよろしくお願いします🙏
きっと、徳郁に会ったら、
「おいっ!ノリ!お前こっち(天国)くるの早すぎなんだよー❣️(ギャグ考えたけど思い付かない…)」
ってきっと私の思い付かないギャグをノリにかまして笑わせてると思います😌
私からの先生への一言は、
先生、大好きです❤️