(シカゴ時間)朝のお話の続きというか、少し詳しい話をもう少しだけしたいなと思うので、ご興味のある方は読んでみてください
私が出たアブダビコンバットというのは、2年に1度しかないみたいなのです。
私が柔術を再開(むっかーしに一瞬習ったので🙏🏻)したのは2013年の1月かな?
2月にはトロントでローカルの大会があって、1日に道着ありのカテゴリーと道着なしのカテゴリーがあり、全然練習積んでないのに、その年の自分に決めた事を遂行するべく両方エントリーして、1日に8試合しました。笑
そこから3月に父の用事で日本に一瞬帰った時にたまたま、私の滞在中にアブダビコンバットのアジア予選が東京であったのです。
その年の私の決めた、挑戦、が無ければ、もしかしたら、
「うーん、練習全然してないし再来年目指そうかな〜」なんて言っていたかも
2013年の再来年をもし待っていたら、2015年は次男産んでいたから不可能でしたね
しかも、その2013年の4月にアメリカでのコーチのオファーが来たのです。
その時は、1月に柔術をリスタートさせ、2月にローカルの試合をして、3月にはアジア予選に飛び込んで(たまたま)優勝をしたという、自分がどんどん挑戦する事に慣れてきていたのです。
一瞬、まだ自分も選手として生きたいと思い、オファーを断ったのですが、断りのメッセージをした4分後に、
やっぱり興味あります!ってメッセージ送ったのです😆笑
そこもね、恥ずかしがらない。やっぱり気が変わった!って気持ちが変化したその時に躊躇せず飛び込んだのです。
挑戦。
この一言の中にも私が絶対にしない事があるのです。
それは、
中途半端にやらない。
決めた事は責任を持ってとことんやる。
一つ一つの事、やると決めた事を一生懸命やりました。
コーチとしての世界選手権、選手のために尽くす。その中で、練習の時は選手と同じ量を(タイミング的に参加できたら)やる。柔術の練習はなかなか時間を確保できませんでしたが、それでも行ける日は練習の後にまた練習として行きました。
レスリングの世界選手権では、時差調整合宿も含め約1か月遠征があります。
その時はもちろん練習できません。だからレスリングの練習、選手との練習終わってから自分で足りない分を補うように練習をしてました。
そしてアブダビコンバット。
その後の友達の結婚式。
先を考えていたらひるみそうになるスケジュールでしたが、たんたんとスケジュールを組み、先を深く考えない。笑
その瞬間その瞬間に集中して楽しむ。
今振り返っても、楽しかった事しかありません
もしもあの時、まだ私には早いからと言って挑戦してなかったら。
再来年目指しまーすとか言っていたら。
アブダビコンバットに出場するという貴重な経験は積めませんでした。
もしかしたらこの先、この大会に出た事がまた何かに繋がるかもしれません。
そして、もしアメリカのコーチのポジションに飛び込まなかったら、私は主人と出会えていなかったかも。
そう思うと、私のあの時の決めた事は間違っていなかった。
挑戦するって素晴らしい事だったと、今確信し、これからも自分の人生の基礎の一部として生きていきたいなと強く思いました