徳郁が格闘技を始めてから少し経った2004年。
2月に美憂と聖子はオリンピックの選考会がありました。
2人はその大会で負け、オリンピックに出る事ができませんでした。
コーチをした父(んー、父は泣いてないかも。いや、私達の見えてない所で泣いてたはず!)も美憂も聖子も沢山泣きました。
全ての生活をかけて闘っていたレスリングが2人の中で終わったかのように、2人の中で全てを失ったかのような感覚になりました。
その同じ日、徳郁がK-1のデビュー戦でした。
父も美憂も聖子も試合後、そのまま徳郁のいる代々木第二体育館へ応援に行きました。
そして姉妹は一旦徳郁のいる控え室へと行きました。
徳郁は、試合前のウォーミングアップをする前の準備段階でした。
試合直前にも関わらず、姉妹はまだまだ試合の敗戦を引きずっていてお葬式に参列しているような顔のまま徳郁に会いました。(←絶対試合前にこんな人達会いたくない🤣負のオーラやめてー!笑)
すると、徳郁は姉妹に言いました。
「お前ら良く頑張った。あとは俺に任せな。」
そう一言姉妹へ言葉を残して、徳郁はウォーミングアップへと姿を消しました。
父と姉妹は係の人に案内され、徳郁の試合が見える場所へ連れて行ってもらいました。
徳郁の番です。
父と姉妹は未知の世界K-1の舞台に挑戦する、長男徳郁を祈るような気持ちでいました。(ちなみに、私はK-1ではマイクベルナルド選手のファンでした。まさかその舞台に兄が立つなんて。)
3人の目の前で、徳郁は自分の土俵ではないルールの中、堂々と闘い輝きを放っていました。
徳郁がマット(レスリングは戦う場所をマットと呼びます。)ではなく、リングの上で勝ちました。
父も美憂も聖子も(何がなんだか分からなかったけど)飛び跳ねて喜びました。
これが、徳郁が家族を救った2回目の日でした。
徳郁はいつも、どんな時も自分でなんとかしてきました。
そして、家族を救ってきました。
そこから数年後、徳郁は父という存在を乗り越え姉や妹も越えて、遙か遠い違う世界へと突き進んで行きました。
そして、格闘技の世界でやっと世界チャンピオンになりました。
心の優しい、そして強い男は、いつしか大きな舞台へと移り、自由に舞い、みんなから愛されるヒーローになっていました。
ヒーローは、目に見えなくても、心の中でいつもみんなを支えてくれるのでした。
そして、大好きなもう1人の母(私達には母が2人います)ときっとみんなを見守ってくれているのです。
甘えん坊だった身体の小さな少年は、いつしか自分よりも一回りも二回りも大きな人を相手に戦い抜き、沢山の人に希望と勇気を与え愛される選手へとなりました。
(ひとまず)おわり。