腰痛見聞録5:白い時間 | ニューヨーク狂人日記

腰痛見聞録5:白い時間

「白い時間」
角のない乱雑さで続く行列を眺めなら。
そんな言葉を思い出し
そこから見える風景を蘇らせていた。

ずっと以前。
たしかブログに書いたことがあるはず。
まだ、アメブロではなかったころのやつに。

不思議なことだけれど。
ずっと。
何度も。
重ねてきた引っ越しの中
(ニューヨークでは珍しいことなのだけれど)
バスルームにはいつだって大きな窓があった。

恵まれてきたのか。
心のどこかでそんな部屋にこだわり
探し求めていたのかもしれないな。

とにかく
「白い時間」だった。
思い出されるのは。



大きいのでもない。
小さいのでもない。

便器のフタを下ろし
窓からの光景をずっと眺めていた。
眼の。
頭の。
焦点を定めることなく。
考える側の頭を
ほとんど使うことなく。

一日のうちのそんな時間。
自分の中から色素が溶け出し、
次第に白色と同化していく。
それがぼくの白い時間だった。

NYを後にしたときに喪ったと思っていたもの。
今、大きな窓はないけれど、
それでもそれは確実にある。
大きく開いている。
今もぼくには白い時間がある。


この時間を抜きにして
今のぼくはない。
きっとこれからのぼくも。



昨年訳した本の中には
Quiet Time(静なる時間)というものがあった。

似て異なるもの。
長針は重なろうとするのかもしれないが
短針は微妙に避け続ける。

ぼくの方は白くなくてはならないのだ。

時には5分ほどでもOKだけれど。
たまに1時間ほども座っている。
気づくと夜が明けていたり。
秋の虫が鳴き出していたり。



結局のところそんなものなのだ。



1986年9月30日。

28年前の今日、
ぼくはサンフランシスコに降り立った。
グレイハウンド・バスターミナル前のホテル。
開け放たれた窓。
夜気にのり遠くから喧騒が聞こえてくる。



結局はそんなものなのだ。



28年前。
夜の成田からシンガポール航空に乗り込んだ。

3週間前。
夜の成田からシンガポール航空に乗り込んだ。



結局はそんなものなのだ。








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