きみのTシャツおかしいよ
「いらっしゃいませ!」
威勢いいい声。
香るような白木づくりの店内。
刈り込まれた頭髪。
顎の剃り跡も青い。
評判の寿司屋に行った。
まな板の向こう、笑顔で迎える板前が、
阿弥陀如来や大国主命のTシャツを着ていたとしたら。
信じるということは。
そう悪いことじゃない。
それがどんな対象であろうとも。
信じるということには関しては、
対等に扱われねばならない。
ましてやおもしろおかしく騒ぎ立てるなんて、
もってのほかだ。
信じることが導き出す、
導き出すかもしれないことは置いておいて。
たとえば原発を安全だと信じることをとがめだてることはできない。
それが安全ではないとわかっていても。
たとえ再び事故を起こしたとしても、
安全だとして再稼動させたことを非難できても、
安全だと信じた事実をうんぬんすべきではない。
この流れは20年くらいだろうか。
世の中のほとんどのことと同じように、
いつだとか、誰だとかをさがすのは意味のないことだろう。
いつから、誰が右手で箸を使いはじめたのか。
そんなことは誰も知らないし、さして大切なことでもない。
それまでのレストランはといえば、
ウェイターは黒ズボンに白シャツを着て黒い蝶ネクタイ。
キッチン・スタッフは白衣。
それが定番だった。
いつの頃からかカジュアルな店では黒いTシャツが着だされ、
広まり、
認められ、
定着した。
ウェイターも、キッチン・スタッフも。
最初は「ギョッ」とした。
そのうち、その店を選んだ自分にため息をつき運命に甘んじるようになった。
今ではあまり感じることはない。
もちろん、できれば日本人に作ってもらいたいのだけれど。
流れとはそういうものなのだろう。
これも、いつの間にか。
日本レストランのキッチンでアミーゴ君(メキシコ人)が働くようになった。
今では寿司を握る人までもいる。
彼らの作るカツ丼のアミーゴをいう角は、
時と共に丸くなっていく。
揚げだし豆腐を揚げているアミーゴ君。
ツナ&アボカド・サラダをあつらえているアミーゴ君。
どちらの黒いTシャツにも大きなマリアさんが刷られている。
どちらも少し寂しげな表情を浮かべて。
<異>という言葉はたたらを踏みそうな地面をならしてくれることがある。
それが場所であったり、文化であったり。
白夜のある町で生まれた男は、
夜の闇が5時間も続くとなんだか落ち着かないらしい。
それでも<異>と思えばなんとか自分をねじ伏せることができる。
メキシコ人のサンタ・マリアにはなんとか納得がいっても、
板前の大国主命に吹き出してしまうぼくら日本人。
「鞄の中からはオウム真理教の本が十数冊発見されました」
「麻原彰晃と写っていた写真を大事に持っていました」
「麻原の説話の入ったテープを今も所持していたようです」
報道がこんなラッパを吹くなんて。
いったいどれだけの人が彼以上に信じる力を持っているというんだろう。
ぼくは笑わない。
笑えない。
阿弥陀如来Tの本格派板前には笑ってしまうかもしれないが。

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威勢いいい声。
香るような白木づくりの店内。
刈り込まれた頭髪。
顎の剃り跡も青い。
評判の寿司屋に行った。
まな板の向こう、笑顔で迎える板前が、
阿弥陀如来や大国主命のTシャツを着ていたとしたら。
信じるということは。
そう悪いことじゃない。
それがどんな対象であろうとも。
信じるということには関しては、
対等に扱われねばならない。
ましてやおもしろおかしく騒ぎ立てるなんて、
もってのほかだ。
信じることが導き出す、
導き出すかもしれないことは置いておいて。
たとえば原発を安全だと信じることをとがめだてることはできない。
それが安全ではないとわかっていても。
たとえ再び事故を起こしたとしても、
安全だとして再稼動させたことを非難できても、
安全だと信じた事実をうんぬんすべきではない。
この流れは20年くらいだろうか。
世の中のほとんどのことと同じように、
いつだとか、誰だとかをさがすのは意味のないことだろう。
いつから、誰が右手で箸を使いはじめたのか。
そんなことは誰も知らないし、さして大切なことでもない。
それまでのレストランはといえば、
ウェイターは黒ズボンに白シャツを着て黒い蝶ネクタイ。
キッチン・スタッフは白衣。
それが定番だった。
いつの頃からかカジュアルな店では黒いTシャツが着だされ、
広まり、
認められ、
定着した。
ウェイターも、キッチン・スタッフも。
最初は「ギョッ」とした。
そのうち、その店を選んだ自分にため息をつき運命に甘んじるようになった。
今ではあまり感じることはない。
もちろん、できれば日本人に作ってもらいたいのだけれど。
流れとはそういうものなのだろう。
これも、いつの間にか。
日本レストランのキッチンでアミーゴ君(メキシコ人)が働くようになった。
今では寿司を握る人までもいる。
彼らの作るカツ丼のアミーゴをいう角は、
時と共に丸くなっていく。
揚げだし豆腐を揚げているアミーゴ君。
ツナ&アボカド・サラダをあつらえているアミーゴ君。
どちらの黒いTシャツにも大きなマリアさんが刷られている。
どちらも少し寂しげな表情を浮かべて。
<異>という言葉はたたらを踏みそうな地面をならしてくれることがある。
それが場所であったり、文化であったり。
白夜のある町で生まれた男は、
夜の闇が5時間も続くとなんだか落ち着かないらしい。
それでも<異>と思えばなんとか自分をねじ伏せることができる。
メキシコ人のサンタ・マリアにはなんとか納得がいっても、
板前の大国主命に吹き出してしまうぼくら日本人。
「鞄の中からはオウム真理教の本が十数冊発見されました」
「麻原彰晃と写っていた写真を大事に持っていました」
「麻原の説話の入ったテープを今も所持していたようです」
報道がこんなラッパを吹くなんて。
いったいどれだけの人が彼以上に信じる力を持っているというんだろう。
ぼくは笑わない。
笑えない。
阿弥陀如来Tの本格派板前には笑ってしまうかもしれないが。
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