正しい別れ方 | ニューヨーク狂人日記

正しい別れ方

130円~160円。
入場券の値段。
1ヶ月有効の定期入場券まである。

それにしても、入場券なんていう不思議な切符があるのは、
今でも存在するのは日本くらいじゃない?
知る限りの国、町はどこでも、誰でもホームまで行ける。
ただで。
日本特有の別れの美学なのか。



夜と朝の狭間をさまよう。
ぼくの朝、彼らの夜。
空港へ向かう始発駅で券売機に$5.70を入れる。
発車のアナウンスが聞こえてしばらくすると、、
先程まで入り口で抱き合っていた女が後ろに座った。
聞こえてくる車掌とのやりとり。
「じゃ、$12になります」
「……そんなに?」
彼女が口にしたのは、ぼくと同じ行き先なのに。
入場券を買うことなく、最後まで別れを惜しんでいた男はもう眠っているのだろうか。



遠くへ行くことなんてそうそうなかったに違いない。
旅立ちや別れは汽車と直結していたんだろう。

帰ってくる別れ。
帰らぬ別れ。
自分たちの力ではどうすることもできない別れ。

人々は儀式としてプラットホームに立つ。
ある者は両手を上げ。
ある者は両手を広げ。
「万歳!」の声。
すすり泣き。
そんな別れに、儀式に立ち会う資格。それが入場券。
特別なものだった。


船、飛行機、もちろんそれ以前には徒歩での別れがあった。
玄関先、町外れまで共に出かけ、後ろ姿が消えてゆく。
あるいは人ごみに、建物や木々の中に溶けこむまで見送る。
文字にたがうことなく。
送られる方も、途中、何度も何度も振り返り、別れを惜しむ。
あっという間に終わってしまった紙テープ。
それでも、いつまでも港に佇む船の別れ。
どちらも、今となってはかなわないことだけれど、
永遠(とわ)ではなく、再会を期する別れはFade Outがいい。
少しずつ、少しずつ。
消えてしまう別れより、小さくなる別れの方がいい。
そして、何の前触れもなくいきなり現れてほしい。
トランスポートしてきたみたいに。
わがまますぎか。



今でも入場券の別れをする人はいるのだろうか。
熱の冷めやらぬ恋人や、年老いた親を見送る以外にはいないような気がする。
それほど、別れというものが日常のものになってしまったんだろう。
人はどこへでも旅立ってしまうから。
地球の上でも、心の果てまでも。



私鉄駅に入場券はないのだろうか。
別れはここにだってあるはずなのに。
改札を挟んでの別れに満足した人はいるのだろうか。

セキュリティーの厳しくなった空港での別れのシーンも変貌してしまった。
大きな動物に咀嚼されるような気持ちでゲートへと向かう。
何者かに大切な物を取り上げられたような気持ちで駐車場へと向かう。
まだ、そこに見えているのに。
人波にドアの向こうへ押し込まれる方がどれだけましか。
非常と言われる発車ベルや汽笛に、タイムテーブルに持ち去られる方がまだいい。
まだ、そこにいるのに別れなくてはならない。
10mが無限大。
唐突でなければ小さくもならない。

それでも空港や駅では心がときめく。
無数の別れと再会の軌跡・奇跡を感じる。

電話を切るタイミングがむずかしくて。
正しい別れ方を考えている。