だれもキャンバスに描かない | ニューヨーク狂人日記

だれもキャンバスに描かない

なんのことはない。
テキトーさ加減にあきれる午前7時8分。

どこにそんな色があるんだ?
あるのは縁もゆかりもない色。
しかも形状までもが。

アイボリーと勝手に決め込んでいた。チャイニーズ・レストランのシャッター。
ニューフェースのパジャマはくすんだ銀色だった。
そればかりか、蛇腹状になっているのは上下30cmほど。
ほとんどが細い丸パイプで碁盤状に編まれていて、
文字に違うことなく落書きの余地なし。
落書きというキーワードがこのシャッターを選択させたのだろうか?


シヤッター商店街という言葉をよく耳にする、日本。
故郷にも太くて長いのが1本。
当たり前の話だが、それは店が閉まっているということ。
確認したことはないが、24時間営業のコンビニシャッターはあるのだろうか?

開店中の店では姿はおろか、気配すら消しているシャッター。
営業中、人々の目に落書きの映ることはない。
それでも店主は、スプレーで刻まれるGraffittiを拒む。
入念に下着を選ぶ女性のように、どのシャッターにするかを決める。
もちろんそれは景観という、街に漂う空気を作るものでもあるのだけれど。

苦肉の策として考え出されたのが、
この碁盤状パイプ式シャッターなのだろう。
割ろうと思えば、そこに見えるショーウィンドウ。
むき出しの暗い店内は、無用意に寝顔をさらす。
気休め程度の防火効果は落書き防止の質草に。




「あきめくら」
そんな言葉が浮かぶ午前7時9分。

毎朝、過去の幻影を見ながら通り過ぎていたみたいだ。
見回してみると、落書きのあるシャッターなんてほとんどない。
この町はいつの間に、こんなにも礼儀正しい場所になってしまったんだ。
やっと見つけることができたのは、
韓国人が経営する、防弾ガラスで仕切られた窓を持つ酒屋。
ハラール・フードが売り物の、これは別のチャイニーズ・レストラン。
貧相な文字が申し訳程度に蛇行するだけ。
そろそろ、アンテナのサビを落とさないと。
サボリがちなこの頃だから。



道路と川は似ている。
両岸に漂う空気は別物であることが多い。
3年住んだアパートから、筋向いに越してそろそろ4年。
幅6mほどの道路を挟んで、それぞれ停滞する異なった空気。
向こう岸の頃、こちらに住む人の顔なんてひとつも知らなかった。
気にもかけていなかった
すぐそこが遠い。

1年半になる。
駅へ向かうときに、大通りの向こう側を使わなくなって。
落書きのないシャッターに、少しだけ混乱しつつ目をやった先には異景。

3mほどもあるフェンスが、ペンキの銀色で朝の光を乱雑にはね返す。
10年ほども空き家であり続けるビル。
駅の間近ということもあり、道行く人の放り投げるもので、
またたく間にゴミ溜めと化していく。
知らぬうちに不細工なフェンスで囲まれていた。
3mもの高さに空き缶を放る人はさすがに少ない。

棲んでいた猫くんたちはどうしたろう?
拒絶の壁。受容のドア。

ゴミを投げ入れる行為、
いやゴミの存在そのものが、現代というキャンバスのを彩る絵の具。
そしてキャンバスは消えた。

午前7時10分。
時計台の針を見上げながら、地下鉄への階段を降りる。