平成から令和に代わる際の動画で

彼は

「平成は辛いことのほうが多かった」と言っている

別の動画では

「学生時代より今のほうがずっと楽しい」とも言っている

弟も

「兄は自分より1000倍も苦労してきた」と言っていた

 

高校1年のジャンプ大会で風にあおられて落下 救急車で運ばれ

頸椎を痛めて数か月はコルセットをはめていたという話もあった

その後再起しインターハイ4位という素晴らしい成績を残しているらしい

 

母親の話では

「兄弟ともに反抗期は一切なかった

というかスポーツ(スキージャンプ)をしていてそれに忙しく

そういう暇がなかったのだろう」とのこと

 

彼は音楽活動を夢見て中学では吹奏楽部だったが

実際にはスキージャンプの活動に時間を取られ

挫折もあったがやめようとはしなかったということか

 

その後東京に出て大学のスキー部に入部したが

すぐに大学を辞める決意をしている

(スポーツ推薦ではなく一般受験だろうと推察する

スポ推では辞めることは相当厳しいだろうから)

大学の生活や部活の雰囲気は期待とは相当違っていたはずだ

下から持ち上がった学生がいたり

ともかく軽薄で不真面目な学生が多い大学なので

そらあ合わなかったろうと思う

 

大学を辞めるという決断はかなり深刻なものだが

母親はよくぞ許したと思う

「息子と信じていたから」という言葉の重さを感じる

とはいえ「正社員として働け」という条件をつけていたのは

自己責任の観念が徹底しているところだ

 

彼は働きだしたが

過労死するレベルまで働きづめで

家族はとても心配していたという話もあった

電力会社だとかコーヒーショップだとかいろいろ情報はあるが

高卒で学校推薦もなく正社員として働くことは

厳しいことだったろう

特に08年のリーマンショックの後の不況の中では

 

その中でも歌をやめなかったことは

本当に素晴らしいことだと思う

うまい人はたくさんいるけれど

声の優しさ 切なさ 素直さ

持って生まれたものと

様々な苦労を受け入れた人生が

生み出した声