延元二年8月(1337)
義良親王を奉じ霊山を出発した北畠顕家
12月には足利義詮の守る鎌倉を落とします
そのまま翌、延元三年1月には
鎌倉を出立して西上、
1月20日に美濃に至ります
美濃国守護は土岐頼遠
北畠卿の都入りを防ぐべく美濃にて決戦
青野原の戦いです
1月28日に始まった戦いは翌29日
北畠軍の大勝利で幕を閉じます
さすが、北畠卿( ^o^)ノ
しかし、ここで北畠卿に運命の選択が
選択肢は3つ
①近江から京都に入る
足利軍が近江美濃国境に大軍で布陣
しかも、霊山から戦い通しの北畠軍
疲労も頂点に達していたことでしょう
この選択肢は消えます
②越前の新田義貞と合流し都を目指す
「太平記」では合流し新田とともに
勝利した場合、手柄を武家に取られる
と考え合流を拒否したと。
個人的にはこの説には否定的です
③南朝の勢力が強い伊勢から吉野を目指す
先ずは南朝の拠点を目指したのでしょう
北畠卿は③を選択します
結果は伊勢から大和を転戦し河内へと
孤高の戦いが待ち受けることになります
勿論、大和以降の戦いでも勝利は
しているのですが
青野原の戦いが北畠卿が爽快に勝利した
最後の戦いと言えるでしょう
さて、
今日はキンプリ平野紫耀くんの誕生日
22歳おめでとう