価値観-努力や頑張り- | 生活保護で生活を立て直そう

生活保護で生活を立て直そう

こんにちは
数年前、家族で生活保護を受けていた朝子です

一部の不正受給者や心無い方々に
蔑まれている生活保護制度

なかなか聞けないことや
不安、気になってることを
元受給者で現在は低所得世帯の視点でお話しています

あなたの人生の補助になれば幸いです

こんにちわ
朝子です

「私は変わっているのだろう」

そんな風に考える
だから、「世の中って矛盾ばかりだな」って
思うのかもしれないな…なんて、最近思います


個人の努力について
これって皆それぞれしているし
皆出来る限り頑張っている事はあると思っていて

むしろ、努力していない人や頑張っていない人は
数少ないし、そう言う人は珍しい人

もちろん頑張らない人を知らない訳ではなく

私の希望的感覚かも知れません


子供に「やれば出来るのに」と言う言葉を、大人はかけます

私も、子供の頃は良く言われていました
この言葉に対して
「やらないから出来ない」と取るのか
「やればもっと出来る」と取るのかで
意味は随分変わってくるように思います

ちなみに、私は過去
誰だって「やればなんだって出来る」と思っていました


「努力しない、頑張らないから出来ない」全てはこれに尽きる!
と言う方

身障者の方には「歩こう」と思っても歩けない方がいます

15歳未満の子供が給与所得を得ようとしても出来ません

高齢者が20代と同じ運動は出来ません


これらを「極論」と言うか「世の中には出来ている人もいる」と言うか
それによっても価値観は違うと思いますが

今の朝子は
個人では、やろうと思っても出来ない事や出来ない事
努力や根性ではどうにもならない事
これらは存在している

そう考えています


価値観と言うのは
個人の経験や知識などで違いはあると思います


例えば、勉強をしたい子供
どんなに個人で努力しても、
周りのサポートを受けられる子供と受けられない子供に
差は出てしまうと思います

例えば、仕事をどんなに意欲的に頑張る人でも
上司・同僚の嫌がらせ(パワハラ等)、会社の方針
これらの制約の為に、頑張る事をさせてもらえない

子ども会などの役員を頑張りたいけど
家族の反対があるから出来ない

かく言う私も
フルタイムの派遣での仕事の時、山の様に頂いた仕事を
綺麗に片付けたいけど、定時であがらないと
正社員の人に
「残業手当が欲しいからのんびり仕事して、
わざと残業している」
「給料泥棒だ」などと陰口を叩かれるので
毎日仕事が片付かないまま、定時で帰っていました

家に持って帰る事の出来ない仕事でしたから
昼休憩を潰して、こそこそ頑張っていたのですが、限界はあります


頑張る事や努力する事を「0」と言う基準値で見た場合
(この「0」は[努力しない・頑張らない]ではありません)

「0」ラインから、マイナスに行く事は個人で可能でも
プラスに行くには、個人の努力にその他の力が加わるからではないか

そう思うのです

他人に感謝できない人と言うのは
「自分一人ではどうにもならかった」
「これだけ頑張ったけど、これがあったから、あなたがいたからこうなれた」
等の感謝の気持ちが無いのではないか

人に助けられたり、その環境が存在したからこそなのに
「自分ひとりの力でやったんだ」と思っているのでないか

そのように思ってしまいます


個人の努力や頑張りは
人それぞれ、皆出来る事をできる範囲でやっている

私は、そんな風に思いたいです

(身の丈に合わない努力は、時として
他人を不幸にしたり、迷惑になったりしますが…)

これを前提とした場合

会社で言われた仕事等を頑張らない人
勉強できる環境があるのにしない人などを

当たり前のように言ってしまうと
世の中がこの様な人ばかりみたいになってしまい

頑張る事が、努力する事が、特殊で
変わっている人みたいになってしまいます


子供のいじめにもありますよね
「あいつ先生の手伝いして、いい子ぶっている」
「休み時間勉強してるよ」
「偉そうに静かにしろとか言ってる」

これらの努力や頑張りが「当たり前」であったなら
この様な文句を言う方が「当たり前ではない」となるのではないか

善悪を多数決でばかり決める事が
正しい事ばかりでは無いと思う

だから私は、今日も「変わり者」として
ここで、独自の持論を勝手に語っています