日本には様々な焼き物産地がありますが、その中で京焼・清水焼の特徴はなんでしょうか。
矛盾しているようですが「特徴がない」事が特徴といわれるほど、産地による統一感というのはなく、作り手によってその作風が全然違います。
原料にしても、陶器(土もの)から磁器(石もの)まで。
技法にしても、手びねり、ろくろ、流し込みなどの成形技法と、染付・色絵・銹絵・交趾などの装飾技法を組み合わせてそれぞれの作り手が特徴的なオリジナル作品を世に生み出し続けています。
では、なぜ特徴がないのでしょうか。その理由は大きく2つあります。
1.京都では焼き物の原料となる土や石があまり産出されなかったため
京都はその土地柄、焼き物の原料に最適な土や石が見つかりませんでした。
これは今でも続いていて、他の産地から得た原料でそれぞれの作り手が腕一本で作品を生み出し続けています。
京都がまだ都であった頃、原料となる陶土・陶石が他の焼き物産地から運ばれてきて、さらに各地から集まってきた作り手が、その土地から持ち寄った技術と原料をベースに作陶していたため、様々な原料が混在している京焼・清水焼の作風が生み出されました。
多くの移民を受け入れ、多様な人種が混在しているアメリカみたいなものと考えるとわかりやすいかもしれません。
2.京都は焼き物の最大消費地であったため
原料と同時に、各地から優れた陶工が集まったのは、当時の京都が最大の焼き物消費地だったことが大きな理由です。
都である京都に点在する公家や大名が大口の発注先であり、そういった人達に向けた茶道具などの需要が旺盛でした。
そのため、京都で認められれば一人前といった考えがおこり、各産地の腕に自信のある陶工がこぞって京都に押し寄せたのです。
そういうことで、様々な産地の良さが積み重なって現在の京焼・清水焼が成り立っています。
現代で例えるなら、地方出身の若者が上京して成功を目指すような感じでしょうか。
とはいえ、特徴がないといっても大きな傾向みたいなものはあります。
それは、京都らしい「華やかさ」がみられるという事です。そこが京焼・清水焼の魅力の一つなのだと思います。
京都が都であった頃、文化の担い手であった当時の茶人や公家たちはありきたりな焼き物で満足しませんでした。
他にはないような多種多様な形や華やかな色使いが求められたため、そのニーズに応える形で、個性豊かな作品を生み出す窯元が多く誕生しました。
そのため、より工芸色が強く、芸術性の高いデザインが次々に生み出されていきました。
このようにして京の都で育まれた京焼・清水焼は、現在に至るまで、数は少ないですが熟練の技術を持つ作り手たちに受け継がれ、日本を代表する伝統工芸品として親しまれています。
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