「山本ひろ子先生と「民俗学」            

 ―なにものでもないひろ子先生は秘教史学を分娩する―」(その2)常木みや子

 

 

 

1、〈なにものでもない〉という立ち位置

 

後期〝ぱいでいあ〟も終盤を迎え、ひょんな質問の中からこの言葉を切り取る。

ひろ子先生は「いわゆる民俗学」から距離を取られ、好きでないという立ち位置も、本領である「秘教史学」での時空を超える、あるいは時空を自在に縦横無尽に横断する文字を駆使したひろ子先生の立ち回りの空間力を、少しでも体験される方なら納得のいく所であろう。

 

ひろ子先生の立ち回りは、空身なのだ。まったくの身ひとつで、あるいはそれは建仁寺雲龍図かもしれぬ、異界を空気ごと引き連れ、『異神』(未読につき隠喩として)さながらの立ち回り。なにものでもないとは、結界、なにものでもないからこそ、界をも結びうる、縦横無尽に立ち回れる空間力をも持ちうる。

 

前期、「愛護の若」の見事な推理ぶりの空間力に、一見山水画のような平面としての山岳図から生命の息吹が感情もろとも現在形で叩きだされ、登場人物の理不尽も悲哀も、岩肌も滝壺の音も、血の通う現実のものとして、二〇二一年の読者は体感するのである。

 

物語の因果応報さえも、人物ごと生きた現実として、文字理解ではなく、体感理解として、物語世界の登場人物のように、私はそこにいるのだ、ミハイル・バフチン、ドストエフスキー「ポリフォニーの世界」さながらに。

 

そんな体験を、山本ひろ子先生の前期講義の中で持つこととなりました。

ですから、後期講義のある日、山本ひろ子先生と「いわゆる民俗学」との関係のお話を伺ったとしても、出版社によって「秘教史学」と命名された新分野を拓いた学者として本領を明らかにされたことも、私にとっては全く違和感なく、すとん、と、体が理解しました。

 

〈なにものでもない〉ということが、どれほど空間力を駆使する、あるいは「異神」めいた存在であるか、ひろ子先生は、みずから、その雲龍図ぶりを開示せしめられた、このぱいでいあのご講座であったと思います。(つづく)

 

初出は「屋根裏通信」23号(成城寺小屋講座、2021)です