「山本ひろ子先生と「民俗学」
―なにものでもないひろ子先生は秘教史学を分娩する―」(その1)常木みや子
これほど明瞭簡潔に大見出し小見出しが完結をみる見出しはなかろう。
これ以上の見出しは簡潔さにおいて見出せぬ。
この二行に凝縮される時空間/異空間を、私は読み解き開示しなければならない。
しかしながら、私が山本ひろ子先生に触れられるのは、ほんの一時、瞬間に霊視される「異神」さながらイメージだけだ。
しかしながら私は、瞬時に超時空に顕現された、縦横無尽に超時空を切り裂き繋げるその離れ業の見事さに引き込まれないわけにはいかない。その、バーチャルなイメージしか、彼女を語る術はない。
眼光鋭く天翔る雲龍図の襖絵。迫力に立ち尽くす。その時龍は襖絵ではなく超時空間を泳いでいるのだ。この雲龍の引き連れる時空において、すべての歴史的事実は透視され、再構成される。主は雲龍/山本ひろ子をおいてほかない。
時空間を自由に飛翔し空間力を思考の音源に繋げ音素ごと、丸ごと自在に駆使するところから編み出される表現力は、読者をもろとも「いわゆる民俗学」の地べたから、雲龍図の睨み効く異空間に、鮮やかに押し上げる。(つづく)
初出は「屋根裏通信」23号(成城寺小屋講座、2021)です