6月15日の「横浜人形の家」でのトークイベントに向けて、ゼミでは〝いざなぎ流〟の予習をしてきた。

今回は、いざなぎ流の御幣や、太夫さんや、神楽の一端に触れてからの復習ゼミ。

ゼミ生の意外な一面も見えたりして、座学から外へ飛び出すと面白いことがいろいろ。

再び、着座して論文に向き合います。

 

レポートは〝シェフ〟のあだ名のYさんと、〝廊の巫女組〟のMさん。

お二人とも7ページを越えるレジュメを用意。(…はい、もはやレジュメとは別ものです)

ゼミ長の報告は、二人のレポートに時間を充分にとろうということで次回へ。

 

みすず誌上に90年代末に断続的に掲載された山本ひろ子先生の「呪術と神楽――日本文化論再構築のために」の論考も、今回は第五回いざなぎ流の病人祈祷Ⅱ弓祈禱(一)と、第六回同弓祈禱(二)――弓祈禱の「地獄ざらえ」と日月祭の「舞おろし」。

かくも難解な論考をよく読み重ねてきたと、思う。

 

論文の冒頭の村上一郎の短歌、『撃攘』「敗戦母國の歌」の紹介から入ったYさんのレポート。

内容が豊富でまとめたり要約したりすることができない、と〝巫女〟のMさん。

山本ひろ子先生は前回の振り返りで、「立場や場所を忘れて聞きほれてしまった」とTさんのレポートを評した。Tさんは山本先生の論文の好きな箇所を纏めました。途中で文章を切ることができないと話し、独特の〝語り〟を聞かせてくれた。

そして、山本ひろ子先生は、自分の書いたものを改めて読み返すことがないので、皆さんのレポートを聞いて山本ひろ子に出会っているとおっしゃる。

 

どうもゼミの場で〝触れているもの〟はいわゆるお勉強とは違う。

単なる知識や情報には還元され得ないもの。

以前の土曜会で藤井貞和先生に山本ひろ子先生の著書を〝写したか?〟と訊ねられ、

一冊まるごと写したことは無いなぁ…と反省した。

 

今のゼミでは、先生の文章を書き写しているのに近い。

言葉の、文章の力に魅了され、もちろんその考察の思考の鋭さにも圧倒されて、この箇所がかっこいい、この箇所が好き、この箇所が大切だということで、まるごと写している。

て、に、を、は、が異なると雰囲気が変わる。文字を改めて今ならパソコンで打込むなかで、言葉遣いや文体のリズムに気づく。

 

お習字で言ったら〝臨書〟。

隣にお手本を置いて、書き写す。

シンプルだけど、最も根源的、基本的なこと。

時間はかかる。

でも奥は深い。

だから面白い。

 

次回ゼミではゼミ長による「御幣の動態学」(『自然と文化63 御幣』)のレポート、山本ひろ子先生から弓祈禱についてのお話を伺う予定です。…それと、研究発表会のサマリーを出すことになりました。