4月20日からはじまっている、「いざなぎ流のかみ・かたち―祈りを込めたヒトガタたち―」展が好評だ。
横浜人形の家 – 横浜人形の家の公式webサイトです。 (doll-museum.jp)
うえーい。
と、言ってそう。
「民族人形 エケコ」(20世紀後半、ボリビア)
Оさんから届いた「横浜人形の家」の絵はがき。
展示にあわせたイベントも各回またたくまに満席。
担当の学芸員さんも毎日対応に追われている。
実は、展示を手掛けられた学芸員のОさんは山本ひろ子先生と縁のある方。
山本先生が和光大学に赴任されたおり、研究室の助手をされていた女性。
展示がはじまるのに先立つ3月11日、十数年振りの再会をした。
小柄なОさんが、一升瓶を二本〝背負って・抱えて〟来てくれた。
岩手の地酒と、高知の酒(いずれも美味)。
いただいたわよ、と山本先生。
あーよく飲みましたね、研究室で。と、かつての雰囲気が蘇る。
乾杯、しましょう。
一昨年鬼籍に入られた前田耕作先生が、
大学を離れられたОさんのことを気遣われて、毎年年賀状を下さっていたこと。
これから先なにをしてゆこうかと考えたときに、そんな前田先生のお気持ちに応えようと、「横浜人形の家」でいざなぎ流の展示を企画されたことを伺い、心が動かされた。
山本先生は前田先生の招聘に応え和光に赴任され、
「日本にフィールドワークの拠点をつくれ」と言われて、いざなぎ流を伝える高知県の〝物部(ものべ)〟を学生たちのフィールドと定めた。以後10年以上、山本先生は学生を率いて通われた。
ふとそういえば最近、同じく心が動いたことがあったなと記憶をたぐる。
前田先生の学生であり、後に共に和光の教壇に立たれた松枝到先生。
昨年末ご逝去され、今年、山本先生宅で数名のささやかな偲ぶ会を行った。
その折に松枝先生の薫陶を受けたSさんが、
松枝先生の学問を継承し伝えてゆくのだと涙ながらに語ったこと。
故人の知の営みが、生者を動かす。
さらに記憶を辿ると、
昨年の旭川での山本ひろ子先生の井上靖記念文化賞授賞式の夜。
そこに和光大学の宮川寅雄先生(1908-1984)の教えを受けたという
井上靖氏ゆかりの女性がおられて、山本ひろ子先生と宮川先生、前田先生の話題で話が弾んだ。
点、点、点…と見えない足跡が続き、縁の糸が〝よれてもつれて〟見えたり、見えなかったり。
なんだか巡り合わせって面白いなと思いつつ。
3月11日の晩にはなにやら15日の公演に関してゼミ長とОさんがサプライズ企画を練っていたような。
15日はどのような様相を呈するのでしょうか。
あ、そうそう。
山本ひろ子先生の近著『摩多羅神』(春秋社、2022)もミュージアムショップに置かれているはず。
未知の読者へ、届きますように。