もう開期はおわってしまったけれど、

行きたかった展覧会がある。

「堀内誠一絵の世界」展。

 

 

 

知人のお嬢さんが学校で「お店屋さん」ごっこをしたという話を聞いて、

ふと思い出した絵本、

『ロボット・カミイ』のお店屋さんごっこの場面。

カミイの〝電気屋さん〟が妙に心に残っていた。

久々にひっぱり出してみたら、

こんなに長いお話しだったんだと驚いたけれど。

 

と、そんなことを考えていたら、

岩手で堀内誠一氏(1932~1987)の回顧展があると知った。

チラシの絵を見て好きだなあと思ったら、

『ロボット・カミイ』のイラストを描いた人だった。

不勉強ながら、

彼が70年~80年に雑誌のアートディレクションを手掛けて、

「anan」「BRUTUS」「POPEYE」「Olive」のロゴデザインも彼の作と知った。

確かにならべてみると、ポップさというか

明るさというかが共通している。

あ、彼の仕事はこんなに身近にあったんだ。

背中を押してくれる感じがする。

 

(「岩手県立美術館展覧会スケジュール 2024.04‐06」より)

 

〝かたち〟の作用は大きい。

 

今ゼミでは山本ひろ子先生のいざなぎ流関連の論考を読んでいる。

高知の民間信仰・いざなぎ流は、陰陽道とのつながりや、呪的側面がクローズアップされたりもするけれど、山本先生が特別展「いざなぎ流の宇宙」で、いざなぎ流の祭具の数々を見て、その本質が〝賑わい〟にあると見抜かれたことはとても重要なことだと思う。

 

――壮麗な祭壇。精緻、意匠を凝らした法具。驚くほど多様な切紙の幣の数々。今にも動きだしそうなその形姿は、太夫たちが見事に造形化した精霊の形代だ。

太夫の法力のよすが・認証というべき切紙や祭文の束。それらはちらりと秘密の一端を見せては、次の瞬間押し黙る呪物たちだ。そして高度な道化性演劇性を彷彿させる面形等など……。

それらの〈形〉・イメージは、わたしが勝手に思い描いていた、穏秘的なものとは似て非なるものだ(その中のいくつかについては、この連載でふれることになろう)。いざなぎ流の特性のひとつは、〈賑わい〉にあるとわたしは直感する。いざなぎ流はやはりただものではない……。――

(山本ひろ子「呪術と神楽――日本文化論再構築のために 第二回」より)

 

現在開催中の横浜人形の家での「いざなぎ流のかみ・かたち―祈りを込めたヒトガタたち―」展ではその〝賑わい〟に接することができるだろう。

 

 

同館での、6月15日のトークイベントで山本先生は〝青ヶ島〟についてお話しをされるとか。こちらも気になります。