「後期ひろこゼミは〝行く・還る・書く〟の「3」で!」(その3) 本田晶子

 

さらに尊星王法について、

(略)思想体系としてのイデオロギーの次元でこれを読めば、荒唐無稽な呪術的思考の所産と考えられても仕方がないが、元旦四方拝の場合の王権の位置づけ方と対比すれば、一見雑然たる言説の向こうに、筋の通った神話的構造があざやかに見えてくる。「驚くべきことに」という表現を、これまで著者は肝所でたくみに使ってきたが、それは山本のテクストが挑戦的であり、同時に何ごとかを発見しようと、執着しつづけていることを示している。私はこのような構造に迫る論述に出会ったとき、ほとんど息がとまるほどの衝撃を受けた。(略)判ったぞと思い込んだとたんに迷妄の闇に突き落とされる世界なのであって、それを著者とともに、しかと読み解くという、苦しみであり、同時にかけがえのない楽しみでもある作業が待っている。私どももまた「驚くべきことに」とひそかにつぶやきながら、この作業をつづけよう。

(同、413頁)

 

まぎれもなく今必要なのは、このように驚き、発見し、しつこくこだわり、読み解いてゆく力だ。そしてそれをかたちにして伝えることだ。初年度のひろこゼミではそのための地ならしができた。

今年は初年度を踏み越えて、さらに先へと進んでゆこう。(了) 

 

「屋根裏通信」31号(成城寺小屋講座 2024)より転載

 

ただいま、「通信」32号の編集の真っ最中です。明日のゼミでは『異神』第一章「付論Ⅲ 新羅明神の幻像を追って」と、「天中姫宮の修行の旅―「いざなぎ祭文」の呪術世界」を読む予定です。6月1日開催の土曜会についての予習と打ち合わせも行います。