タイトルから、察しの良い方には〝応挙〟の名が浮かぶだろう。
江戸時代中期の画家、丸山応挙(まるやまおうきょ 1733-1795)。
丸山派の祖。応挙の弟子・呉春(ごしゅん)のもとから四条派が生れてゆく。
過日の日吉山王祭に先立ち、京都・四条の丸山応挙の旧宅跡を訪ねた。
その理由は、昨年目にした応挙の「虎図」があまりに強烈だったから。
展覧会会場の中で、さほど大きくはない一幅の掛け軸だったが、
そこだけ異様な精氣に輝いている、といったらよいだろうか。
それだけが立体的というか〝飛び出して〟見える。
道具も画材もほぼ同じだろうが、応挙におなじく衝撃を受けて
彼をまねたであろう作品も並ぶがこちらは〝平たい〟。
圧倒的に何かが違う。
真に迫る〝気迫〟か〝集中力〟か。
「江戸絵画の華」展チラシに応挙の「虎図」
応挙は弟子に
「氣韻生動(きいんせいどう/対象がいきいきと描かれていること)も写生を徹底的に行うと自然に身につく」と語っていたらしい。
西洋画や、元・明の花鳥画や沈南蘋(しんなんぴん 1682‐?)から学び、当時の本草学の流行などからもおおいに影響を受けた。時代の変化に敏感で、新しいものを取り入れ、これだと確信した道に全身全霊を傾けたのだろう。
その作品は200年以上を経ても今なお〝生きて〟いる。
虎図は天明5年(1785)、応挙の死の10年前の作。
住居跡は今でも京都の中心地。
応挙は三井寺や三井家の後援を受けていた。
祇園の祭礼もある。
歴史を遡れば、四条の「桟敷倒れ」の場所も近い。
人もお金も物も芸能も物語も行き来する。
烈しいエネルギーに満ちた場所に居たのかと驚いた。
四条通り堺町。みずほ証券前に応挙宅址碑あり。
その〝写実〟の応挙が幽霊を描く。
国内で唯一応挙の幽霊画と認められた作品を持つ
青森県の久渡寺では年に一度、旧歴5月18日に
応挙の幽霊画「反魂香(はんごんこう)之図」を公開している。
反魂香は、漢の武帝の故事に由来する、煙の中に死者が姿をあらわすというお香。
香を焚かずとも彼の画力をもってすれば、死者も抜け出てくるはずだ。
加えて久渡寺は〝オシラサマ〟信仰が盛ん。
5月15日、16日の大祭では、
馬と女の二体一組の顔を描いた木の棒に衣を着せた「オシラサマ」を両手に持って〝あそばせる〟。
やがて神霊からの託言を受ける者もいただろう。
「弘前市外久渡寺の祭に集合したおしら様
かかる華麗な集合祭祀をするに
至ったのは近代のことである。」
『民俗学辞典』
視覚、嗅覚、聴覚――祭や芸を通して、いかに人々が豊かにあの世と交流をしていたか。
そして応挙は、写実をとことんまで突き詰めたら、突き抜けてしまって、後世に〝物語〟となってしまった人のようだ。
参考文献:柳田国男監修『民俗学辞典』(東京堂 1951)、『日本美術館』(小学館 1997)
参考:「江戸絵画の華展」2023年2月21日~3月26日、出光美術館にて開催。丸山応挙「虎図」、天明5年、一幅、絹本着色、113.5×25.4㎝
参考URL:久渡寺ホームページ
朝日新聞デジタル
東北に伝わる謎の民間信仰「オシラサマ」をまつる「オシラ講大祭」 [青森県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)