「童子と龍神とソフィアの山」(その4) 松木まゆみ

 

樹下宮は下殿(社殿の床下)に霊泉が湧き、樹下僧(じゅげそう)や廊の御子(ろうのみこ)達が出入りした半地下空間を有す。先生は日吉大社の「禰宜」さんの案内で霊泉の存在を知り、中世日吉社の多彩な奉斎の実態を確信したという。下殿の入り口は北にあり、宮の後ろに回ってみると小さな格子戸に注連縄がしてあった。

「近づいてはいけない!」 何となく肌感覚で聖地を恐れた。雨の中ポツンと一人立っていると、御子達の笑い声が聞こえてくるようだ。しかし、私が想像していた廊の御子達は山の上にいるはず。小雨の降る中、八王子山の奥宮へ向かう。

 

足元が滑る九十九折りの急坂、白い霧で先が見えない。晴れた日ならトレッキングコースとして最適だろうが今日は違う。日吉の原始信仰の中心地八王子山は奇岩や滝を有する深山幽谷の霊場であり、大地や山の精霊が行きかう古代の姿だった。濃い霧の中を歩いていると道端の大きな切り株につまづく。よろけて傘を放り投げ、膝を打った。ぶざまに立ち上り、「先へ急ごう」。気持ちは逸るが足が出ない。なぜだか切り株から先は結界が張られているように気配が変わり、森の先に入って行けなかった。そのうち気持ちも弱くなり、トボトボと下山した。

まだ参拝していない西本宮を廻り、特に力があるという「白山(はくさん)宮/客人(まろうど)宮」に結界解除を願い、横の滝で大量にマイナスイオンを浴び、再び八王子山の急斜面に立つ。またしても切り株の向こう側へ足を出すのを躊躇していると突然先生の声が聞こえた、「行け!」。(つづく) 

 

参考文献:『柳田国男全集(11)』「鬼の子孫」(ちくま文庫 1990)、池田昭『天皇制と八瀬童子』(東方出版 1991)、宇野日出生『八瀬童子 歴史と文化』(思文閣出版 2007)、山本ひろ子「中世日吉社の十禅師信仰と担い手集団―叡山・霊童・巫覡の三層構造をめぐって―」(『寺小屋語学文化研究所論叢』三号、寺小屋語学文化研究所、1984所収)、山本ひろ子「河原巻物の縁起的構想力をめぐって」(『物語・差別・天皇制』五月社 1985所収)、山本ひろ子『摩多羅神-我らいかなる縁ありて』(春秋社 2022)、嵯峨井建『日吉大社と山王権現』人文書院 1992)