私は次のゼミで「坂迎え」をするので、ゼミ時間の半分ください。
春山のサカムカエ(中央二人が行人)
「坂迎え」
神仏詣りなどで遠方へ旅したものが帰ってくるのを、村境まで出迎えておこなう共同飲食のこと。『民俗学辞典』
旅の最終日、山本先生からのメール。
帰京して最初のゼミは、山本先生がフィールドワーク中に指令したミッションの伏線回収の回。
ミッションそのいち、「宵宮落とし」での田楽の有無の確認せよ!
ミッションそのに、護因を詣でよ!
ミッションそのさん、猿に注目!
フィールドワークのさなか、新米記者よろしくゼミ長0が携帯電話を肩と耳に挟んでメモをとりながら確認していた。
え? ゴインですか? ゴは言偏に、なんですか?
インはインガのイン? 原因の因ですか? などなど。
あー、護因社のことを言ってるんだなとおもいつつ。
傍らのTさんの頭の中ではすでに、護因、護因…と護因さんの名前がループ中。
護因さんは、Tさんを思ってのサジェスチョン。では田楽と猿は?
山本先生は、『太平記』「田楽の事」など、貞和5年(1349)の四条河原の桟敷倒れの記述を中心に紹介しながら、御輿の動座に田楽が同行していた可能性を示唆。
神意の発動そのものの恐ろし気なる御輿、堂々たる威容。そこに田楽。猿面を掛け、手には御幣。猿は日吉の神の使い。
祭で見たいくつかの光景と、『太平記』の記述とがリンクする。
断片だった「田楽」「猿」が、当時の人々の姿をともなって活き活きと動き出す。
お話を伺って、ふと、以前に「屋根裏通信」に書かれていた、山本先生のアイヌの連載を思い出す。
「戦場に臨む時」、武装した男たちの「後塵」で蝦夷の女は、幣帛をかざして「誦咒の体」をする。 (「東国とアイヌ」をめぐる断章(一))
「戦争に巫女が従ったこと」について。「誦咒」そして手に取った「イナウ」、手草について。琉球の『おもろそうし』も出てくる(つづく)。
参考文献:柳田国男監修『民俗学辞典』(東京堂 1951)、山本ひろ子「「東国とアイヌ」をめぐる断章(一、二)」(「屋根裏通信」16、17 成城寺小屋講座 2020)、兵頭裕己校注『太平記』(四)(岩波文庫 2015)
図版:戸川安章『新版出羽三山修験の研究』(名著出版 1986)より転載、写真・内藤正敏