5月5日、新宿の紀伊國屋ホールにて「沖縄久高島のイザイホー」特別上映会、トークセッション「イザイホー再考」―王権儀礼と民俗祭祀の観点から―が開催されました。

 

 

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イザイホーとは

イザイホーは、沖縄の久高島で600年以上前から12年に一度、午年に行なわれてきた重要な神事である。久高島は、首里の東に位置し、神聖な島とされ、ノロと呼ばれる巫女を中心に神女組織で継承されてきた。久高島で生まれ育った女性は、祭祀を行なう役割を与えられ、その就任儀礼がイザイホーである。沖縄の社会では、女性がおもに祭祀を行ない、男性が政治的な役割をもつ伝統があった。これらは、日本古来の祭祀の原型を留めているとされ、多くの研究者の注目を集めてきた。(チラシより)

 

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映画は1978年に行われたイザイホーの記録映画で、16ミリフィルムで撮影された映像を高画質のデジタル画像にして後世に残すべくリメークし2022年に完成したもの。

これまで何度か上映会が行われているが、この日、430弱のホールの客席はほぼ満席に近い。

会場には沖縄、久高島に縁のあるひとが多く集まっている様子で、研究者や映像関係者なども散見された。ひろこゼミ生も総員参加。

 

第二部のトークセッションはこれまでも上映の度に重ねられてきた模様。冒頭の挨拶では岡田監督が、撮影した翌年にナレーションをつけたこと、その後年月が経って研究等もすすみ、当時のナレーションとの矛盾もでてきているので、そこを補うためのトークセッションだとの位置づけを述べた。

パネリストはドキュメンタリー映画監督の北村皆雄氏、藝能学会会長の伊藤好英氏、民俗学者の赤坂憲雄氏、そして山本ひろ子先生。

 

北村監督は1966年、1978年のイザイホーを撮影され、王府儀礼との関連、琉球王府の王妃・聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼である「おあらおり」と天皇の大嘗祭との共通点などを指摘された。

伊藤先生ははじめに北村監督と倉塚曄子氏がイザイホーの翌年の1979年に、故田中基氏が編集された雑誌『季刊 どるめん 第21号』で、「琉球王即位儀礼と久高島―聞得大君オアラオリとイザイホーの関連―」というタイトルで対談をされていることに言及。イザイホーは新たに巫女となる〝ナンチュ〟の為のまつりではないか、その一回かぎりの成巫の新鮮なエネルギーによって村を守護するという構造を示唆、近隣の類似する祭などを画像を交えてご紹介された。

赤坂氏は先の大嘗祭が、村落の新嘗祭の盛大化と捉える言説が多かったことについて、それでは〝聖なる者としての誕生〟の側面が隠されてしまうこと、新嘗祭を基点とするにしても、大嘗祭ではそこに何が付加され、作為、構想されたのかという、吉本隆明が考えようとした「思想」が抜け落ちていたのではないかと疑義を呈された。そして今イザイホーとしてわれわれが目にしているものが、王府儀礼との繋がりが途切れた後に残ったもの、との仮説に立つと、吉本が考察しようとしたことが実際にこれから可能となるのではないかと述べられた。

最後の山本ひろ子先生は開口一番、皆とは全く違う話をします、と。(つづく)

 

参考文献

トークセッションで北村監督や赤坂氏が話題とされている、天皇制や大嘗祭については山本ひろ子執筆「第二部 謎の天皇制 その秘密を解く」『タブーに挑む 日本史読本』(別冊宝島38、1983。のち宝島文庫、2000)がまとまっていて読みやすい。

ちなみに、第二部の詳細は、[古くて新しいテーマ、それが天皇制だ!]天皇はなぜ〝天皇〟とよばれるようになったのか?/王権の象徴〝三種の神器〟はいつ、どのようにして〝鏡・剣・玉〟の三つになったのか?/元号とは何か、そしてその役割は?/〝天皇霊〟とは何か?/天皇の祭祀をめぐる謎を解明する/院政の研究――中世の天皇制とは何か?/〝国体〟とはいったい何だったのか?。ここに、基本的なことは出揃っている。

倉塚曄子著『巫女の文化』(平凡社選書、1979)