ついぞ存命中に唐組の芝居を見ることはなかったな。と。
5月4日の訃報に接して、一抹の〝出遅れ〟感を覚えた。
唐さんといえば、寺小屋の面々にとっては
〝あらたか〟さんこと新井高子さんを通して折に触れお名前を聴いた。
2021年に出版されたあらたかさんの
『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』(幻戯書房、2021)を寺小屋で合評したことも、その美しい本の装幀と共に蘇る。
あらたかさんはどんな思いで今いるだろうか。
表紙の写真は首藤幹夫氏
気になりながら見る機会が無く、
本書を通して唐の芝居の、台詞の世界を少しだけ覗いた。
あらたかさんの筆力にもよるのだろうが、テキストからでも充分に面白かった。
その時にわたしが立てた付箋の箇所を見返すと、
やっぱりどうしても戦争ということが
その時代を体験した人だということからの関心が
大きかったようだ。
例えば、
「そこには、唐が標榜する「特権的肉体」を、いまの時代に立ち上げるにはどうしたらよいかという問いもあったに違いない。麿赤児(まろあかじ)(のちに麿赤兒と改名)、李礼仙(りれいせん)(のちに李麗仙と改名)、大久保鷹など、焼け跡を体験した肉体が抱える奔放さ、含蓄の濃さは、当世の役者の個性とは違う。高度経済成長、バブル経済とその崩壊、情報化時代の到来を経て、滑らかになった若いからだと向き合った唐十郎が、そこで見出したひとつが、「妄想する肉体」をみずからの複雑なレトリックによって構築することだったのではないか。(後略)」(上掲書、Ⅰ幻獣篇 鉄砲水よ、分裂のかなたで咲け!――『透明人間』より)
「ぼくは、ソウルにいた時、ソウル文理大の学生とつきあい酔っぱらったら、必ず「お前の顔はおれのおじいさんを殺した昔の憲兵に似ている」といわれたもんです。そうした恐怖というか、自分自身でも気づかない自分自身の顔というものは、ベイルートに行かなくても、ソウルでも、沖縄でもあるということです。(後略)」唐十郎「昭和又三郎の往復運動」(同、Ⅲ疾風篇 二つの風、一センチの宇宙――『鉛の兵隊』より)
など。
時代の空気というものがある。
それは心身に堆積し、身振りや言葉、声といった「表現」を裏支えする。
堆積したものは歴史と言い換えてもいい。
訃報の届いた翌5月5日には花園神社での唐組の公演があった。
チラシは、いつ見ても心が揺さぶられる合田佐和子氏の絵
若い観客が多かった。
大きなテントの前に設けられた受付
『唐十郎のせりふ』では資料として山本ひろ子先生の「旅する女たちの伝説」(和光大学公開講座オープン・カレッジぱいでいあ、2021年度講座)もあげてくれている。また「詩のように読む――あとがきにかえて」では、「総論をどう書くか悩んでいたとき、山本吉左右『セリフ考』をさし出してくれたのは、山本ひろこさんだった」とも触れてくださっている。
焼け跡といえば、昨年98で亡くなられた知り合いの御母堂はこのコロナ騒ぎをみて、
自分は東京が焼け野原になったのを見てきたのでこれくらいどうってことはないと仰ったという。
一片のセリフにも深い歴史がある。
それは時に重たさや、すごみを伴って現れる。
願わくばそんな表現を、そしてその機微を見逃さない注意深さを身に付けたい。
参考文献:新井高子著『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』(幻戯書房、2021)