14日の祭りではこの後、大榊が移動し、御輿は坂本を下って湖へ、さらに唐崎沖の船上で御供の献上があり再び日吉大社へと戻ってくる。
事前に山本先生から祭礼は一度行っただけではすべては見られないからと言われていたとおり、このあたりは全て割愛。
さてタクシーで先回りした唐崎神社。
日吉大社の社家の始祖とされる琴御館宇志麿が常陸国から唐崎に移り住み、庭に松を植えたのがはじまりとされる。
天皇や公家もここで禊祓いをした。
水の信仰の歴史があつい場所。
水だけじゃない。
湖上を渡ってくる風も違う。
吹き抜けてゆく開放感。
なんだか由緒のありそうな団子屋さんが通りをはさんで神社の真向かいに。
旅のお供に買い求めて。
(みたらし団子発祥の地だとか)
あまりゆっくりもできないので、歩いて駅に向かい三井寺へ。
新羅明神、尊星王法…と。ここからはぐんと山本先生の『異神』の世界に深入りする。
三井寺の門前のレストラン風月で昼食。
坂本の祭の風情とはうってかわり、
西国巡礼の札所でもあるので、
白い笈刷りを着た巡礼の方々が多くみえた。
そろそろOさん、TMさんの帰りの時間も近づいてきたので
駆け足気味に境内を巡る。
文化財収蔵庫を見て、金堂で仏像を拝観。
そしてぜひ見たかった閼伽井に立ち寄る。
閼伽井屋に近づいて耳をかたむけると、
ぼこ、ぼこと音がする。
天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた
御井(みい)の寺と呼ばれるゆえんとなった霊泉。
今でも水が湧き出ている。
金堂の前で帰京する二人を見送り
居残り組は釈迦堂を拝んで、
まだすこし歩けますか?と確認してから
三井寺の北院へ。
訪れる人も希なのではないかと思われる新羅善神堂。
しばらく時間を過ごして、京阪大津京経由でJR大津京まで歩いて大津駅へ。
このあたりを歩くと大津京の遺跡や天智天皇の足跡などが断片的に伝わってくる。
山本先生が「〈物語〉のトポスと交通 日吉大社大宮縁起と説経『愛護の若』と河原巻物をつなぐもの」のなかで、
「この大宮権現には流離する貴人、より具体的には天智天皇の大津遷都の伝承とイメージの痕跡が認められよう。」
と述べられているのが少し、具体的にわかった。
連日大津駅に戻るのが22時過ぎだったけれど
この日はめずらしくまだ明るいうちに駅に到着。
よく歩いたので、アイスクリームでもとお店をさがす。
結局、喫茶店でジュースにおちつく。
甘いのたべると、体力回復します。
そうだね。
と一息(つづく)。
○参考文献:山本ひろ子「〈物語〉のトポスと交通 日吉大社大宮縁起と説経『愛護の若』と河原巻物をつなぐもの」(赤坂憲雄、兵頭裕己、山本ひろ子編『物語・差別・天皇制』五月社、1985 所収)、山本ひろ子『異神』第二章「摩多羅神の姿態変換―修行・芸能・秘儀」付論「日光山の延年舞と常行堂」(ちくま学芸文庫、2003)