八王子山を登り切ったことの安堵感から、

足元に気を付けつつではあるが

 

「さすがTMさんは東の魔女とよばれるだけあって体力あるね。あの歩きぶり」

「近所にちょっと買い物にきましたって感じ」

「でも肩掛けバッグはすごく重かったよ」

 

など気分も軽やかにおしゃべりしながら下山。

 

前夜に御輿を見送ったあたりまでおりてくると、先に歩いていたはずのM君が一人で立っている。

 

「あれ、皆は?」

「えっと」

「奥の護因社はたぶんこっちの道だと思うよ。皆は先に行った?」

「たぶん」

 

と再び地図を取り出して、今回は確信を持って、分岐点を間違わずに進む。

想像通り、東本宮を上から見下ろす道につながり、

やや森も深まり、水の気配もしてくる。

 

「あってる、あってる。」

 

少し開けたところにショベルカーがあり

その先に川が流れていた。

 

「きたよ、きたよ。川!」

 

と小川の岸まできて覗き込むと、少し先に

工事現場の狭い足組のような、

小さな赤い橋がかかっている。

 

細い川べりを落ちないように注意して歩いて、

用心して橋(というか板)を渡る。

対岸は木立が途切れて光が差し込み、若草が黄緑色に輝いている。

 

「うわ、最高。」

 

その先の小高い丘に赤い鳥井と小さなお宮があった。

やっとたどり着いた。

「さすが〝護因〟さんファンのT姫を擁する我がチーム。引き寄せてもらいましたね」

 

興奮しつつも静かに参拝を終え、踏み外さないように橋を渡り、東本宮裏手からぐるりとメインロードに戻る。

途中で先行組からの電話。

 

「あ、もうすぐこちらも着きます」

 

東本宮のお宮の前で先行組と合流。

「行けた? 奥の護因社」

「いや途中まで行ったんだけれど、大変だったのよ。崖を滑り降りてきて、今さっきそっちに出てきた」とMさん。

「崖を? おりてきたの?」

と、例のお守り小屋の先を示している。

 

「昨日御輿を見たところの道を入ったよね」

「そう」

「ちょっとゆくとショベルカーあったよね」

「あった」

「で、川あったよね」

「あった」

「で、赤い橋あったよね」

「無かった」

「無かった?」

「ちいさな、工事現場の足場みたいな鉄の」

「無かったよ」

「それ渡ったらお宮あった」

「川はあったけど、橋はなくてずーっとまっすぐいったら崖になってて」

「崖?」

「そしたらTMさんはお尻を着いて滑ればいいんですっていうから、滑って降りてきた」

「で?」

「民家があったから、奥の護因社ゆきたいんですって地図みせたら」

「そしたら?」

「神社に聞いてくださいって」

「ん?」

「私もさっきそこで地図を見せて聞いたら、左って。いま山頂まで行ってきたんですっていったら。その地図はあてになりませんって。」

「ん?」

 

分かれ道で一人立っていたM君はというと。

お手洗いに行って戻ったら他の皆の姿がみえず。そこに後行組がやってきた、ということだった。

 

そして先行組がぐるりと崖まわりに戻ってきたところに、われわれもちょうど参拝を終えて合流したというわけだった。

 

ちょっと手の込んだ〝護因マジック〟

合流のタイミングは、ぴったり。

 

つらつら思うに、たぶん奥の護因社に一番近いと思われる民家に訊ねても、神社へといわれる。で、お守り小屋で訊ねると、山頂を案内される。

ということでどっちに聞いてもたどり着けない。

ふらりと祭の日にやってきた〝いちげんさん〟から聖地の静寂を護るためか?

(うん、その気持ちはよくわかる)

 

奥の護因社の案内板の最後の一文にはこう書かれていた(個人名は略)。

「平成二十年三月、大津市比叡辻在住のO氏等の篤志により奥護因社の解体修理及び覆屋の再建がなされました。【不思議な夢のお告げがあったことによる】」

 

 

「どうやら、今でも護因さんは活動中のようです」

と先行組に伝える。

そこが奥の護因社の分岐点と知らずに、昨夜、御輿を待っていたかとおもうと、

後ろからの視線にふと背筋が寒くなる。

 

ここにもちいさな異界と現界の〝結ぼれ〟がある。

だから現場を歩くのはやめられない。

そちこちにまだ文字に掬いとられてない、物語の萌芽がみえるから。

これから流動し、変化し、育ってゆく

(あるいは育たない可能性も含みつつ)――。

 

Tさんは護因さんを描いてみたいと言っている。

描かせてもらえるだろうかとも自問している。

 

掬いとられて、からめとられて、定着させられる前の、

形も定まらず、まだ名づけられもしない

そんな〝可能性の海〟のなかで〝萌し(きざし)〟を見つけるのが、楽しい。

 

そんなこんなで、下山の後は

 

歩けますかー?

筋肉痛大丈夫ですかー?

 

と声をかけ合いつつ再び坂本の町をあるいて、今夜の「宵宮落とし(よみやおとし)」の開始を待った(つづく)。

 

 

おまけ。

東京に戻って、Tさんから

「奥護因社のお社の写真がなかったのであると嬉しいです。(ヨレヨレで写真撮る余裕なくなっていたです)」とのメール。

わたしも、看板しか撮ってませんでした。

 

○参考文献:山本ひろ子「中世日吉社の十禅師信仰と担い手集団―叡山・霊童・巫覡の三層構造をめぐって―」(『寺小屋語学文化研究所論叢』三号、寺小屋語学文化研究所、1984所収)、山本ひろ子『異神』第一章「異神と王権―頼豪説話をめぐって」第四節「鼠の秀倉譚」(ちくま学芸文庫、2003)