朝の散歩を終えてホテルにもどる途中、この日から参加のMさんと行き遇う。
昨年は山本先生による柳田國男著『毛坊主考』の講読や、先生の叡山関連の論考に触発され、〝八瀬童子〟ゆかりの里や叡山を歩いたというつわもの。
9時半にフロントに集合し、今日も「天孫神社」経由で京阪の駅を目指す。
というのも朝の散歩で、天孫神社がかつて“四宮(しのみや)”と呼ばれ、本殿の床下が一周できるようになっていると知ったので。もう一度皆を案内しなければ、と。
Mさん「ところで、おみこしを担いでみたいと思わない?」
わたし「いや。重たいし体育会系のノリにはちょっと」
Mさん「神様を、肩にかつぐのよ」
わたし「なおさら荷が重いよ」
そんなおしゃべりをしているうちに神社に到着。
社務所で宮司さんにご挨拶をしてお宮のご由緒書きとリーフレットを頂く。
日吉祭を見に来たと告げると、明日ここの榊を日吉社へ還御させるのだという。
ところで本殿の周りに回廊があるゆえをたずねると〝お百度参り〟用とのこと。
こういうかたちで、地域のお宮さんは人々の希求に応えていたのだ。
インターネットもなく、スピリチュアル・カウンセラーもいない時代。
お百度参りはひたすら自己と向き合うためか?
いや、そこに神仏がおわしますと実感することが重要なのだろう、など。
〝お百度〟を踏んだことはないが、実は奥が深いと思う。
さておき、
皆をさそって回廊を一周。
暗がりはひんやりとしていた。
Mさん「以前に山王祭の榊についてレポートしてたよね」
わたし「ああ、そのとき四宮が気になったんだった」
山王祭では「献茶式」を見学。
京阪坂本駅の改札横で見たささやかな茶畑は実は日本最古の茶園で、最澄が唐から種を持ち帰ったことにはじまる。そのお茶を四基の神輿に献じる式。
宮司さんのたおやかな所作にうっとりとする。
呼吸の仕方が違うのか、装束のせいか。
周囲の空気までをも纏った円かな動き。
献茶式の後は、流れ護因社を参拝。
山本先生の『異神』に登場する異能の験者(ごんざ)。
〝スネ聖(すねひじり)〟という別名も魅力的ながら、
なんといっても神と話が出来たという能力、
また死後しきりに人を悩ませたといった逸話など、
どこをとっても興味は尽きない。
今日は坂本にある最澄ゆかりの社寺と、護因にまつわる社、そして〈大宮鎮座譚〉に出てくる琴御館宇志麿(ことのみたちうしまろ)ゆかりの社などを祭見学の合間に散策し、日吉社の東本宮、昼間の「花渡り」、そして夕方に「宵宮落とし」を見る旨を伝える。
観光案内に立ち寄り、皆も「坂本の歴史を探る」冊子を入手。
昼食は、山本先生おすすめの「鶴喜蕎麦」。
着飾った「花渡り」の人々が厳かに通りをゆくのを横目に、蕎麦に舌鼓――この時はまだ後に〝護因マジック〟に見舞われるとはつゆしらず(ハラゴシラエハ、タイセツナリ)――。(つづく)
○参考文献:山本ひろ子「〈物語〉のトポスと交通 日吉大社大宮縁起と説経『愛護の若』と河原巻物をつなぐもの」(赤坂憲雄、兵頭裕己、山本ひろ子編『物語・差別・天皇制』五月社、1985 所収)、山口幸次写真・文『日吉山王祭―山を駆け湖を渡る神輿たち―』(サンライズ出版、2010)、山本ひろ子『異神』第一章「異神と王権―頼豪説話をめぐって」第四節「鼠の秀倉譚」(ちくま学芸文庫、2003)