青樹庵です。
あの日もめちゃめちゃ暑かった。
セミの鳴き声がうるさかったのと、
ラジオから流れる(今まで聞いたことのなかった)天皇陛下のお言葉だけ覚えています。
終戦記念日ですね。
あの日からの目まぐるしい変化の日々。
子供から大人に移る年頃だったからなのか、
戦争に負けたための屈辱とか負い目などは何も感じなかったな。
終戦の少し前(6月だったと思う)に女学校を卒業して、学徒動員という工場勤務が終了。
5年で卒業のはずが国の都合で4年で卒業となった。17才。
男子生徒を戦場に送り出したい軍部の意向。
わたしは専門学校に入学したおかげで学校に通うことに。
2年ぶりに教室で勉強することになったわけで、
しかし、校舎は空襲で焼けて鉄筋コンクリートだけが残っているという無残なものだった
。机とか椅子などは有ったのがフシギ?
近くに英国大使館が有るが、そこの一角だけは無事に残っていた。
アメリカ軍がいかに余裕を持って空襲したのか、今になって考えるとバカバカしくなる。
新しい学校に入学したと云っても形だけで、ほとんど軍事訓練だった記憶が有る。
陸軍の将校が来て、
棒を持って『なぎなた』の使い方とか、走り回っていたような。
この将校の威張り腐った態度は少女ながら反発を感じたっけ。
で、9月から次の工場に就くことになっていたのだが、
8月15日に終戦になった。
日本人の生活は、この日を境にして180度変わることになる。
あれから70年近くになるが、、、
70年経っても、中韓では、まだ反省しろと迫ってくる。
戦争は負けたらみじめだな。
って、日本はアメリカ連合軍に負けたのであって、中韓に負けたわけじゃない。
これを跳ね返すには国が強くなる。
これしかない!
この世のことはすべて意味が有る