天中殺とは | 強運を掴む【秘伝開運の132法則】を占い師青樹庵がズバリ大公開

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こんにちは【運の法則】でラクに開運:青樹庵です。

天中殺がいかに威力が有るか説明をします。

理論ですから、
むずかしいのはイヤという人は、最初からスルーしてください。

天中殺という言葉が歴史上に出たのは、
中国の唐から宋の時代にかけてです。

そのまえは「天殺」と呼ばれていました。

その概念は4500年も前、
古代中国の宗教、
道教のなかの「神仙思想(しんせんしそう)」が土台となってつくられました。

この「神仙思想」には、
天文、暦、数、占いなどがふくまれます。

げんざいの占いの90%は、
じつはここから出ています。

陰陽道、陰陽説、五行説などに
出てくる「空亡」は、
算出のやり方は同じですが、
イミや解釈のしかたは、まったく異なります。

日本ではじめて「空亡」を使ったのは安倍清明です。

そのころ「天中殺」は、
中国の皇帝のためだけに使われていました。

皇帝のための
「帝王学」だったのですね。

古代中国王朝のめまぐるしい興亡は、
「天中殺」の歴史だったと云ってもいいのです。

自分の天中殺に敵に攻めこまれ、
領土をなくした王は、
天中殺が終わるまでは、
じっと動かずに待ちました。

そして、明けたとたんに打って出る。
または相手の天中殺年を見て攻め込んで、
領土を取りもどす。

天中殺のあいだは、
どんなにもがいてもムダだということを、
皇帝たちは知っていたのです。

いまでも中国の偉人や政治家は、
自分の生年月日を秘密にしています。
自分の弱点を敵に知られないためです。

日本で天中殺が広まったのは
「算命学」の宗家、高尾義政先生からです。

でも、最初に知っていたのは、
遠い昔、
中国と貿易をしていた大阪や堺の商人や町衆だったと云われています。

天中殺は、
中国王朝のみで使われ、
一般人には禁止されていました。

「天中殺」とは、
一国の運命を左右するほどの力を持ちます。

【天中殺を知ることで禍の半分はまぬがれる】

ブログで書くと、
かるく読まれるかもしれませんが、
単に流行的に考えずにきちんと利用して下さいね。

この天中殺にも相性があり利用法が有ります。
時間があるときに単発で書くつもりです。

もっと見る → あなたの天中殺の年、月、日を教えます 

青樹でした。