今日の17時ごろ、ばーちゃんが天に召されました

89歳
長生きだ、大往生だというヒトもいるだろう

でもね、このヒトの孫としてはそんなにカンタンな三文字で片付けられないんだ

このヒトの人生は、激動そのものだったから

19歳で中国から出稼ぎで来日
その頃のことは、あまり話してもらったことがない

オイラが子供の頃は、東京と神戸の距離はハンパじゃなく遠かった

だから、会っても一年に一回
あまり会うことのない、母方のお婆ちゃんという印象だった

横浜中華街に引っ越して来てからは、頻繁に会うようになった

あの界隈では『ママ』という相性で、歩けば必ず誰かしら知り合いに会うので、真っ直ぐ歩けない程だった

70歳を過ぎた老後に神戸に帰り、ホッとしたところで阪神淡路大震災に遭った

水も出ない、電気も通ってなかった神戸は不自由だろうと、娘であるオバと、オイラのカーちゃんで迎えに行った

電車も止まってたので、数十キロを歩いたのだ

それから9年後に長女、12年後にオイラのカーちゃんである次女が他界

一番寂しかった、悔しかったのは、オイラじゃなくてこのヒトだったんだろう

いわゆる瞬間湯沸かし器タイプ
アタマに来ると、一気に頂点まで行っちゃう
ブチ切れると誰も止められない
そして、すぐ泣く

よくパンを食う
だから美味しいパンがおかわりし放題な神戸屋が好き
神戸や連れてきゃ、機嫌がよかった

絶品の肉団子スープ
よく作ってくれたなぁ
ただ、いつまでもガキのように食うと思われていたので、作る量がハンパじゃなくて食い切れない

中華街にコネがあったので、フカヒレを手に入れては、オイラが神戸に行った時だけ食べさせてくれた
『他の孫たちにはナイショやで!』って、大声で言ってた

最近は段々、足元がおぼつかなくなってきたところだった
夏の終わりに、転んで骨折
入院して2ヶ月後に脳梗塞

そのまま左半身不随

オイラが最後に会ったのは先月の終わり

正直ショックだった
あまりにも変わってしまっていたから

失語という、脳の病気独特の症状で、何もオイラに伝えられないのだ

ただ、また動く右手で、オイラの手をチカラ強く握り返した

何かを伝えたいようだったけど、意思の疎通ができなかった

それが、最期だったんだな

明日、対面してきます

オイラのばーちゃんと関わったヒト、会ったことのあるヒト、心配してくれたヒト、ありがとうございました

この写真は、オイラの宝物
この皺くちゃの手は、とても暖かかった

ばーちゃん、お疲れ様でした
どうか、どうか安らかに
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